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 人と自然の博物館では、伊丹市教育委員会と平成25年2月22日に協力協定を締結し、理数教育推進と連携のモデルづくりに取り組んでおります。その一環として、中学校の理科自由研究に協力しております。
 去る平成25年6月9日には、当館研究員の橋本佳明主任研究員、赤澤宏樹主任研究員が伊丹市の中学校に招かれ、「アリの飼育」「グリーンカーテン」について講義・実習を行いましたが、これらの内容を含む9点の研究発表会が平成26年1月18日伊丹市総合教育センターでありました。


●発表された研究テーマ等は以下のとおりです
 「ピン球のはね方調べ」 荒巻中学校1年
 「フックの法則についての研究」 笹原中学校2年
 「グリーンカーテンの効果について」 東中学校1年
 「鳥の羽の構造・種類と飛ぶ仕組み・揚力」 南中学校1年
 「アリにまつわる3つのこと」 西中学校科学研究部2年
 「燃料電池をつくる」 北中学校1年
 「麺はどれくらい伸びるのか」 松崎中学校1年
 「地震の揺れから建物を守るにはどうしたらいいか」 天王寺川中学校2年
 「ブーメランの謎」 天王寺川中学校2年

 当館からは高橋晃次長兼推進部長が審査員として出席され審査にあたりました。天王寺川中学校2年生の研究「ブーメランの謎」が「ひとはく賞」に選ばれ、高橋次長より表彰状が授与されました。

 これらの発表は、2月11日当館で開催される「共生のひろば」でポスター発表されます。

西岡敬三(生涯学習課)

ユニバーサル・ミュージアムをめざして44

お隣の山地民
『ゾミア――脱国家の世界史』書評-2

三谷 雅純(みたに まさずみ)


 霊長類学や古人類学では、ヒトの進化を百万年単位で考えます。有名なアルディピテクスは、だいたい五百万年前とか四百万年前とかに生まれましたし、教科書でよく見るアウストラロピテクスは、およそ三百万年前に生きていたと言います。わたしたち現生人類(ホモ・サピエンス)にしても、すでに二十万年という歴史を経てきているのです。ですから、スコットさんが『ゾミア:脱国家の世界史』の中で問題にしている千年、二千年という時間感覚は、霊長類学者や古人類学者にとっては「瞬間」にすぎません。山地民の識字率はゼロに近くても、読み書きをする潜在能力があることはもちろんですし、いったん水稲農耕をしていたといっても、もう一度狩猟をする能力は、あるのが当たり前なのです。低地に住んでいた農耕民が、狩猟採集をする山地民になったとしても、何も不思議なことはありません。

 わたしたちの思い込みとは、ヒトの社会の歴史は決まった方向に進むと信じていることです。長い長い狩猟採集の時代があって、後に牧畜や焼き畑のような「雑な」農耕の時代を経て、「合理的な産業としての農業」の時代――アジアの例では「灌漑設備の整った水田耕作」――になるのだと思いがちでした。社会ダーウィニズムはそうした考え方をします。ヒトや人の自然への働きかけは、ゆっくりとだが、しかし、確実に効率的になり、まるで単線を走る列車のように決まった終着地に着く。それまで走り続けるというのです。この考え方では、社会が後戻りをすると脱線してしまいます。つまり滅びるのです。カール・マルクスの『資本論』 (1) も、こんな考え方をしていたはずです。

 ところが、このわたしたちのこの思い込みは、「国家」という統治機構が創造したのだと言えそうなのです――現代の国家観では、元来、「国家」を統治するのは「国民」ですが、ここでは、あたかも「人格のある人間のように振る舞う国家」が、人びとにある事を信じ込ませたということです。スコットさんはそのことを、「理想と現実の矛盾に気づいた地域の人々や帝国の役人たちは文明論が単なるぺてんにすぎないと見抜いていた」(p 341)と表現します。

 ごく大雑把には、霊長類学でも同じような段階は想定しているのですが、それは十万年とか百万年を単位として考えた時の話です。人間が歴史時代になってからの話ではありません。『ゾミア:脱国家の世界史』の中で展開される横暴な政治の支配と支配される人びとの逃避の物語では、まったく時間感覚が違うのです。

☆   ☆

 『ゾミア:脱国家の世界史』はディアスポラ(diaspora:国外離散者=風に舞うキク科のタネのようにバラバラになった人びと)やエグザイル(exile:故郷喪失者)の物語です。そして山地民とは、新しい文化を創り出した人びとでした。同じような立場には、ユダヤ人やロマの人びと(昔はジプシーと呼んでいました)、サハラの「ベルベル人」と呼ばれる多くの出自を持った人びとがいます。最近の研究では、南アメリカのヤノマミやトゥピ・グアラニーといった狩猟採集生活で生きる人びとも、インカ帝国や植民地時代のスペインの支配を避けて避難したエグザイルだということです――クロード・レヴィ=ストロースが明らかにしたかった「原始時代から続く人間の『親族構造』や『神話構造』」というものは、どう考えるべきなのでしょう?

 ディアスポラやエグザイルと言えば、サハラ以南の熱帯林に住むバンツー諸語を話す人びともそうです。バンツーは森の民ではなく、もともとサバンナに暮らす農民だったのです。それが、今から三千年とか四千年いう時代に地球全体が乾燥化して、サハラに住む人が南下したために、押し出されるようにして森に逃げ込んだ故郷喪失者だと言います。

 確かにバンツーの村は、熱帯林のただ中にも関わらず丁寧に草を引き、家の前にゴミなどは落ちていません。これはサバンナに似た雰囲気を作ろうと努力しているのだと聞いたことがあります。

 森の奥の村までは、中央政府も統治(支配?)できません。そのため、バンツーの村では、今でも人びとの自治が生きています。この自治のためでしょうか、時には村と村の「戦争」(とバンツーの青年がそう呼んでいました)が起こることがありました。カメルーンのファング(Fang)という集団は、さかんに小さな「戦争」をしたことで有名です。これも大きな「国家」の支配を避ける意味では有効だったのかもしれません。

 バンツーとピグミーの交渉には、ゾミアの低地に住む水稲農耕民と山地の狩猟採集民や焼き畑農耕民と似たところがあります。バンツーが畑で取れたキャッサバ芋を提供し、ピグミーはダイカーというウシの仲間の肉や森で集める野菜=グネツムの葉といった物を交換するのです。ただ、ミトコンドリアDNAの分析から、バンツーとピグミーは数万年前には別れていたことが分かっています。その点、ゾミアの歴史とは根本的に異なるのだと思います。それでも、森という見通しの悪い場所は、バンツーに絶好の逃避地を提供しました。バンツーが何か横暴な権力から逃げたというのなら、バンツーはゾミアの山地民と同じ境遇にいたことになります。

☆   ☆

 中尾佐助さんの「照葉樹林文化論」は、ゾミアの山地民と同じ地域の文化を基に展開しています。焼き畑農耕、粘り気のある芋やアワ・ヒエといった穀物、陸稲(おかぼ)とかソバとかいった、いういろいろな作物を植え、発酵食品を好む文化は日本にもたらされたといいます。それが西日本の文化の基層になったという仮説です。発酵食品でいえば、例えば琵琶湖のフナ鮨に似たナレズシは中国の貴州省に住んでいるミャオ(Miao)も作りますし、日本の糸引き納豆も、似たものがゾミアを超えてインドネシアにまであります。日本列島とは、言うなら「海に隔てられたゾミア」でした。

 日本列島の基層文化とゾミアの山地民の成り立ちとは異なるところがあります。それは水田稲作文化を持ってきたことです。これは佐々木高明さんが書いた『照葉樹林文化とは何か――東アジアの森が生み出した文明』 (2) の195ページに載っていたことです。縄文時代の終わり、弥生時代の始まりの頃でしょう。この時代、水稲農耕の起点とされるようになった長江の下流域では何があったのでしょう? 今の上海あたりの出来事です。

 想像するしかありません。思うに「横暴な支配者」に耐えきれなくなった低地の水稲農耕民が領地を逃げ出し、海を越えて、本来のゾミアである山地に代わって九州に渡ってきたということではないでしょうか? 海に漕(こ)ぎ出すことは、山や森に隠れるのと同じ意味があります。「国家」の支配から逃れるためにです。しかも、渡った先にあったのは「未開の島」(=日本列島)です。中国の「帝国の役人たち」も、ここまでは追いかけて来ません。

 これが弥生時代の始まりと共に起こったとしたら、「日本」はエグザイル、つまり故郷喪失者が、直接、参加して作られた国だということになります。ただし、そのエグザイルも、水稲農耕という最先端の技術を持っていたために、この日本列島という「ゾミア」に(意に反して?)「国家」を作り出してしまいます。彼らエグザイルは、そのことを望んだのか望まなかったのか、今となっては分かりません。

☆   ☆

 ゾミアは日本でも研究が進んだ中世の「アジール」と似ています。「アジール」と呼ばれる場所はゾミアほど広くはありませんが、権力の支配が及ばないところとされています。例えば神社やお寺だそうです。歴史家の網野善彦さんのお書きになった『無縁・公界・楽――日本中世の自由と平和』 (3) によれば、犯罪者や離婚をしたい女性ばかりでなく、盲人やハンセン病者もアジールに逃げ込んだと言います。そのような多くの人が逃げ込んだのなら、権力の力が及ぶ一般の市井(しせい)に残った人とは、誰と誰だったのでしょうか?

 ヒトの地理分布は、二十万年前までの出アフリカの時代からディアスポラやエグザイルによって広げられました。彼らは地球の寒冷化や飢餓(きが)、病気といった止むに止まれぬ事情があって「ゾミア」に逃げ込んだのでしょう。しかし、それはまた、新天地を開拓する可能性も秘めていました。新天地とは住んで不便なことが多いものですし、思わぬ事件や事故で死んでしまうことも、よくあります。しかし、行かずにただ死を待つより、死んでしまうかもしれないが、それでも行く方がいいと覚悟を決めた出立(しゅったつ)だったのでしょう。わたしやあなたは、そのディアスポラやエグザイルの子どもなのです。

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(1) 『資本論 1』(岩波文庫 白 125-1, 882円)マルクス (著), エンゲルス (編さん), 向坂 逸郎 (翻訳)

(2) 『照葉樹林文化とは何か――東アジアの森が生み出した文明』(佐々木高明、中公新書、1,029円)

(3) 『無縁・公界・楽――日本中世の自由と平和』(網野善彦、平凡社ライブラリー150、1,223円)

 

三谷 雅純(みたに まさずみ)
兵庫県立大学 自然・環境科学研究所
/人と自然の博物館

ユニバーサル・ミュージアムをめざして43

お隣の山地民
『ゾミア――脱国家の世界史』書評-1

 

三谷 雅純(みたに まさずみ)

 

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ゾミア(Wikipedia の "Zomia (geography)" より)

  わたしにとって年末年始は、普段読みたくても なかなか読めない分厚い本を読む時間です。時間に余裕がある時なので、骨の折れそうな本を読むことにしているのです。昨年までは、例えばスティーブン・ミズンの『心の先史時代』や『歌うネアンデルタール』、スティーブン・J・グールドの『人間の測りまちがい:差別の科学史』といった本を読んできました。今年は何を読もうかと考えましたが、原書が2009年に出て、2013年10月に翻訳が出た『ゾミア――脱国家の世界史』 (1) を読んでみることにしました。イェール大学の人類学者で、政治学者でもあるジェームズ・C・スコットという人が書いた本です――2段組で約400ページもあります。

 読んでみると、「ゾミア」と名付けた東南アジアの一地域の政治と、そこに住む山地民の起源が描(えが)かれていました。東南アジアに限らず、アマゾン地域やヨーロッパと北アフリカの地中海沿岸、そして、この本で直接扱っているのではありませんが、わたしにとってはサハラ以南のアフリカに住むバンツーやピグミーの生き方までも考えてしまう、とてつもなく大きな刺激を感じた本でした。さっそく新しい考え方に出会えて、何だか今年は特をした感じです。

☆   ☆

 「ゾミア」とは東南アジア大陸部の広大な丘陵地帯を指す言葉です。「ゾミア」にはベトナム、カンボジア、ラオス、タイ、ビルマ(=ミャンマー)と中国の4省(雲南、貴州、広州、四川)が含まれます。ここでは「丘陵地帯」と簡単に説明しましたが、行った経験のある方によると、あたりは起伏の激しい山国だということです。その山国には、いろいろな「少数民族」が住んでいます。「カレン(Karen)」や「シャン(Shan)」という呼び名なら聞いたことがあるでしょう。山の斜面に小さな村を点てんと作って住む人びとです。その人たちは、中国の漢族やタイ、ビルマといった水稲耕作が基本の大きな国家とは異なった規範を保(も)っています。異なった倫理観や宗教を保(も)つ、言うならば、大きな国家からは独立した「自由な民族」なのです。

 このような「少数民族」は、中国やタイやビルマの体制には従わない「反体制グループ」としても有名かもしれません。また、マレー語で〈オラン・アスリ(Orang Asli)〉と呼ばれる先住民とされる人びとは、今でも「洞窟(どうくつ)に住んでいる」と誤解されることがあります。

 狩猟採集生活や焼き畑農耕を基本とします。また粘り気のある里芋やヤマノイモの仲間、アワ・ヒエといった穀物、水稲ではなくて陸稲(おかぼ)とか、ソバや外来作物のトウモロコシなどを植えています。この栽培作物品目や発酵食品を好む食文化は、中尾佐助さんの仮説として有名な「照葉樹林文化」の議論につながります。これは後ほどお話します。ここでは説明を省略して、先を急ぎます。

 その「少数民族」です。たいていの皆さんは、「彼らは有史以来変わらず、昔から今と同じ生活をしていた」と思っているでしょう。言ってみれば「文明から隔絶され、大昔の生活をそのまま保った人びと」だと思われていたのです。ところが、それは事実ではない。今、「少数民族」とされている山地民は、昔は低地の灌漑(かんがい)農耕を身に付けた水稲農家であり、識字能力も身につけた、立派な臣民(しんみん:王様のいる国の人民)だったとスコットさんは主張します。つまり、現在、「少数民族」として焼き畑や狩猟に頼って生活している人も、大昔は大きな国家の構成員だったというのです。

 焼き畑や狩猟に頼っての生活は不安定です。山の恵みが乏しい時季には飢餓が起こるかもしれません。一方、「灌漑(かんがい)農耕を身に付けた水稲農家」であれば、作物の出来高は安定しています。餓死などしそうにありません。それに、村といっても山村の小さな村とは訳が違います。大きな村での豊かな生活が想像できます。ところが彼らは、その生活を棄てたと言うのです。どうして安定した生活を棄ててまで、焼き畑や狩猟に頼る必要があったのでしょうか?

 スコットさんによれば、その原因は「国家の収奪と支配からの逃避」だったと言います。国家は効率よく税金が集まることを望みます。そして、必要な時には何時(いつ)でも徴兵ができるというのが「よい国家」です。その国家の方針に従うのが、「よい臣民(しんみん)」なのです。しかし税金ばかり高くて、人びとに見返りはなく、おまけに農民には関係のない侵略のための兵役まで負わされたのでは(王様や大臣たちは贅沢三昧[ぜいたく・ざんまい]であればなおさら)、そんな国からは逃げ出したいと思うのが普通の感覚です。こうして逃げ出し、標高の高い、お役人は追い掛けて来ない山地に新しく村を作ったのが、「少数民族」とされる山地民だというのです。

 わたしは驚きました。山地民はもともと「低地の農耕民」で、おまけに「よき臣民」だったとは。この人びとは、支配から逃げて山に隠れ、息をひそめていたというのです。本当でしょうか?

 兵役に限らず、国家は人がいなければ回りません。土手の工事をするにも人手が必要です。兵役と同じように、(いやいやでも)呼べば集まるなら、労力は必要な時に集めればよいのです。しかし、そもそも人がいないのでは、集めたくても集まりません。そんな時は、山地民を捕まえて奴隷(どれい)にします。無理やり働かせたのです。そうすると、奴隷(どれい)になって働くのなど、人は誰でも嫌ですから、山地民は、ますます山奥へと逃げていくようになります。

 今でも、山の尾根といった人の寄りつかない、人が住むのに適していない場所には、一番、社会的勢力が弱い「少数民族」が住んでいるのだそうです。

 村人に限らず息をひそめていた人も多くいたと思います。現実には、賄賂(わいろ)をもらったことがばれて、逃げ出したり、タブーを犯して身を隠したりといった人が多くいたのでしょう。その時、山地は低地民の逃げ場所になるのです。

 そうすると、人類学者が最新の装備をこらして血液サンプルを集め、DNAを分析してみても無駄だということになります。「少数民族」と言われている人たちは、もともとは低地の農耕民です。中国の漢族やビルマやタイの主要民族だった人たちです。普通の人が政治のつごうで「少数民族」になったのです。DNAには何の違いもないのでしょう。

 確かに山地民と低地民の間には、生物学的には何の違いもないのですが、このような支配と逃亡の歴史が、千年、二千年と続きました。その間に、山地民は山の環境に、低地民は里の環境に慣れていったのです。そこには山地民と低地民の間で物ぶつ交換の経済活動が生まれました。自分に不足しがちな物を互いに交換したのです。日本でも、昔は山の猟師と里の商人の間で、クマやカモシカの毛皮と、なべやかま、包丁や鉄砲といった物を交換していたという話が伝わっています。ゾミアでは「山の猟師」が、もともとは「里の農民」だったということです。

 それにしても人間とは、何とタフな存在でしょう。支配から逃げて山奥で生き延び、今も「少数民族」として生きている。もちろん蔑(さげす)みは日常のことだったでしょうし、奴隷(どれい)になったら人権などありません。臣民(しんみん)として暮らすことでさえ、人権はなかったのかもしれない。それでも人は、生きていくのです。

 特別な人ではありません。お隣のご一家といったごくごく普通の人びとが、その厳しい環境で生きているのです。山地民は「どこかの誰か」のことではなく、「あなた」や「わたし」であったかもしれないということです。

 つぎに続きます。

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(1) 『ゾミア――脱国家の世界史』(ジェームズ・C・スコット著、みすず書房、6, 400円)

http://www.msz.co.jp/book/detail/07783.html

 

zomia FP.JPGのサムネール画像 

三谷 雅純(みたに まさずみ)
兵庫県立大学 自然・環境科学研究所
/人と自然の博物館

いよいよ2014年、午年が明けました!
皆さま本年もどうぞよろしくお願いいたします。

新春らしく、清々しく晴れた1月5日、
1月のKidsサンデーが開催されました。

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入口では門松…ではなく黄色いのぼりが皆さんをお出迎えしました。

◆わくわくネイチャー・テクノロジー~松のすごい~

松ぼっくりのひだ(りん片)の並び方と数を大研究!
キッズもおとなもみんな真剣に取り組んでいました。

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↑最後は松の木になって、松ぼっくりからタネを落としました

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↑松のすごいところを、もっと知りたい!キッズたちは、はかせに質問タイム!↑

 

◆サイエンスショー~ぶんぶんゴマを作ってあそぼう~

好きな色を塗って、ひもをひっぱるとぶんぶん♪回るぶんぶんゴマを作りました。

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↑助っ人のお姉さんスタッフも大活躍。↑

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              ↑ぶんぶん♪ぶんぶん♪↑

 

◆パネルシアター「かさじぞう」「てぶくろ」

寒い季節にピッタリの楽しいお話にキッズたちはくぎづけでした。

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↑「わたしも あの てぶくろの中に入りたい!」

◆オープンセミナー「いろいろな化石を見よう触ろう」

大きなルーペを持ったら、キッズ化石研究員に変身!

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130105kaseki.JPG        ↑キッズ:「あ!ここにも三葉虫の化石があるよ!」
           研究員:「すごい!みんな、なかなかやりますね~」

◆フロアスタッフとあそぼう「どうぶつビンゴ」

兵庫県に住む動物たちのことをクイズをしながら楽しく学びました。
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↑「みんな~ボクのことをもっとよく知ってね」(byニホンジカ)↑

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↑「そうそう、私たちは冬は冬眠するのよ」(byツキノワグマ)↑ 

という動物たちの声が聞こえてきそう。

最後はビンゴでドキドキ!!

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           ↑「あとひとつ!次はニホンザルがいいな…」↑

寒いなか、ひとはくに来てくれたキッズのみなさん、

そしてキッズたちと ひとはくで楽しんでくださった 保護者の皆さま、

本当にありがとうございました!

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2月のKidsサンデーは臨時休館中のためお休みです。

次回のKidsサンデーは3月2日(日)です。

ひとはく は 2月8日(土)よりオープンします。

元気なキッズのみなさんに会えるのを楽しみにしています。

                                               (キッズひとはく推進タスクフォース たかせ ゆうこ)

ブログをご覧のみなさま、
新年明けましておめでとうございます。
本年もどうぞひとはくをよろしくお願いします。

さて、今日1月5日は「最後の開館日」です。

iriguti.JPG明日より2月7日まで館内整備等のため休館させていただきます。
ほぼ一月間館内をご見学いただけません。
ご迷惑をお掛けしますがよろしくお願いします。
1ヶ月も待てないという方は、
どうぞ本日ご来館ください。

今日は第一日曜日、キッズサンデーです。

 

kanbankizzu.JPG干支展「午さんようこそ」も本日限り。
イベント盛りだくさんのひとはくへどうぞお越しください。

 

tobira.JPGひとはくファンのみなさま

2月8日までごきげんよう

http://hitohaku.jp/blog/2013/12/post_1812/

西岡敬三(生涯学習課)

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