今回まで、6回にわたってインドネシア、スマトラ島のパダンのようすやジャワ島のパンガンダランのようすを聞いていただきました。調査のおおよその内容は、3年前のものですが:
http://www.jstage.jst.go.jp/article/primate/23/0/23_51/_article/-char/ja/
に載っています。この連載でお伝えした日本語論文は、昨年、日本霊長類学会の論文誌『霊長類研究 Primate Research』に書かせていただきましたが、まだインターネットにはなっていないようです。
また、昔、1997-98年のエル・ニーニョの年にパンガンダラン自然保護区で採集してあった植物は、人と自然の博物館の研究紀要『人と自然 Humans and Nature』に載せていただきました。インドネシアでも役に立つリストですので、インドネシア人の学生にも読んでもらうために、日本語ではなく英語で書いたのです:
http://www.hitohaku.jp/research_collections/no20pdf/No20_11.pdf
インドネシアの調査はこれからも続けていきますが、この連載(れんさい)は、今回でいったん終わりにさせていただきます。また研究がまとまったり、言いたいことが出てきましたら、このブログで報告しようと思います。連載(れんさい)の最後になる今回は、自分の研究のことではなく、パンガンダランでお会いした漁師(りょうし)のことをお話します。自分が調査をした土地に住む人びとには愛着が生まれますし、日常の生活から森をはぐくんできた人びとでもあるからです。
今では砂州(さす)でジャワ島本土とつながったパンガンダランですが、砂州ができたのは、百年ほど昔のことでした。それまでは小さな島だったのです。小さな漁村があるだけのところだったと思います。ところが、パンガンダランに砂州(さす)ができて、島にラフレシア・パトマ(Rafflesia patma)という珍しい植物(ラフレシアの一種)がはえていると確認されると、自然公園になり、観光地として発展していきました。砂州(さす)があると砂がたまるので、海水浴場ができるのです。
(写真:メスのシルバールトン。姉妹だと思います。このサルが何を食べるのかを、おもに観察していました。)
(写真:林床(りんしょう)で座っている若いカニクイザル。オスだと思います。)
シルバールトンやカニクイザル、それにサルではありませんが、ヒヨケザルと呼ばれる動物など、調査をしたい研究者がうわさを聞いて集まるようになりました。京都大学の渡邊邦夫(わたなべ・くにお)さんは、もう30年以上前から、インドネシアの研究者と協力してパンガンダランのデータを集めています。その数多くの調査の中から、わたしは、パンガンダランで押し合いへし合い混み合って暮(く)らすシルバールトン――ここのように多くのシルバールトンが、ひとところで暮(く)らす例は、ほかにありません――が何を食べるのかを観察しているのです。ルトンは木の若葉が大好きですから、パンガンダランには、どんな木がはえているのだろうということが気になって、それでインドネシアの研究者といっしょに植物リストをまとめてみました。それが、上でご紹介した英文のリストです。
もともと漁師の村があったのですから、パンガンダランに自然公園ができてからも、漁師には、いろいろな例外が認められています。自然公園の中を自由に行き来できることもそのひとつです。自然公園というものは保護地域ですから、ふつうは自由に行き来することが禁じられているのです。森の中には、人びとの伝承を伝える<王家のお墓>もありました。
昔からくふうしたらしく、さかなを捕(と)る技法にはいろいろなものがあります。大物をねらう磯の竿づり、沖のやぐらで灯(あか)りをともして太刀魚(タチウオ)をねらう夜釣り、いろいろな底魚をとる地引き網(じびき・あみ)やアミという小型のエビを、舟で網を引いてとる方法などがあります。人気のある車エビの仲間は網でとるのだと思います。高価なイセエビの仲間は、道具を使うというよりも、もぐって手でつかむのではないでしょうか。
(写真:岸近くに泊めてあるボート。舟の左右に見えているのがアウトリガー。船外機を取り付けられるように、舟のおしりは平たくなっています。右手の遠くに見えるのが、太刀魚(タチウオ)つりのやぐらです。)
パンガンダランには、小さな魚市場(うお・いちば)があります。パンガンダランではいつもせわになっている民宿ラウト・ビル(=海・青い)のすぐそばです。魚市場(うお・いちば)には、朝早くから、その日にとれたさかなが並びます。その前の晩(ばん)に漁師(りょうし)がとってきたさかなです。イセエビの仲間も魚市場(うお・いちば)で売られていますが、車エビは市場ではなく、パンガンダランにずらっと並んだ魚介レストランに、直接おろされます。漁師(りょうし)が魚介類(ぎょかい・るい)の仲買人(なかがい・にん)や魚介レストランもかねているのでしょう。そうして並んだ車エビやさかなを、観光客がめずらしがって買っていき、またその場で食べるのです。
(写真:魚市場に並んださかな。)
アミは、インドネシアの「えびせん」、<クルプッ・ウダン>(=揚げせんべい・エビ)になります。ですから、獲物(えもの)がわたしたちの目に触れる事はなく、アミはすぐに、近くの加工場に運ばれてしまいます。
いちばん高く売れるのが、磯で竿づりをしたクエでしょう。2メートルもあるものが運ばれていくのを見たことがあります。しかし、磯の竿づりは体力がないととてもできませんし、つれるかどうかが運しだいです。それに較べて網漁(あみりょう)では、あまり運は関係ないようです。見ていると、アミの網漁(あみりょう)には、毎日決まって出漁しているようでした。
(写真:舟をタテに並べて、アミ用の網を引きます。)
女性は、男性に混じって網も引きますが、それよりも、手間のかかる、後のさかなの処理(しょり)が大変そうです。小魚や小エビはすだれに並べて干します。干し上がったさかなで、かたちのよいものはおみやげにして売っています。かたちが悪くても、味に差はないのですから、きっと家(うち)で食べるのでしょう。
(写真:漁師さんやその奥さんが、網をあげてくつろいでいます。)
(写真:熱帯魚のようなかたちをしたさかなを干していました。アジの仲間でしょうか?)
海岸一面に打ち上げられた貝ガラも、かたちのよいものは観光客に売れます。男が寝ている間に――夜中は海に出ているのですから、眠っておかないといけません――奥さんたちが貝拾いをしているところには、よく出会いました。
(写真:おみやげにする貝をひろっているところです。)
漁師は、何となく、無口(むくち)な印象があります。でも、それはわたしの思い込みにすぎませんでした。話をしてみると、何とも気持ちのよい人たちでした。パンガンダランにはこのように漁師がいます。漁師とは別に、近くの農民がパンガンダランに出てきて、人力自転車(じんりき・じてんしゃ)の<ベチャ>を漕(こ)いでいることがあります。安く人を乗せたり、荷物を運んだりしてくれます。あといるのは役人とホテルを経営している華僑(=中国系のインドネシア人)です。華僑は、もちろんインドネシア語もしゃべりますが、自分たちどおしでは中国語をしゃべっています。お金持ちが多い華僑は、パンガンダランではなく、大都会のジャカルタに住んでいることが多いのです。ですから、本当に土地の人ということになると、漁師と農民、それにお役人ということになります。
パンガンダランは行政区でいえば西ジャワ州になりますが、中部ジャワ州とは目と鼻の先です。このあたりはスンダ民族が多く住む、スンダ語が通じる社会です。スンダ語は、いわゆるジャワ語とは異なります。社会もスンダ民族に固有のものなのでしょう。その中にあるパンガンダランですが、観光地であるだけに、スンダ社会とは少し違うようです。
最後です。パンガンダランで見た「カニクイザルのカニ探し」のことを書いて、終わりにします。
パンガンダランの砂浜には、何種類かのカニが住んでいます。よく見かけるのは小さな、米粒(こめつぶ)のようなシオマネキです。でもシオマネキは小さすぎて、食べてもおいしくなさそうです。やや大きな種類のカニは、砂浜に横穴(よこあな)を掘って住んでいます。この大きな方のカニを、カニクイザルが食べていました。
(写真:若いカニクイザルが腕(うで)を地面(じめん)に突っこんで、 何かを探しています。)
ある日、群れから離れて、若いオスザルが何かを探しているところに出くわしました。オスザルは熱心に砂浜を掘っているようすです。何をしているのかわかりませんでしたが、写真を撮(と)っておきました。オスザルは何かを食べているようです。オスザルの去った後、そのあたりに行ってみると、カニの穴(あな)が掘り返され、カニの甲羅(こうら)が食べ残されていました。
(写真 サルが去ってから近くに寄ってみると、カニの甲羅(こうら)や 足が散っていました。)
パンガンダランでは、人もカニクイザルも、同じようなエモノをとらえて、毎日のかてにしているようです。(おわり)
三谷 雅純(みたに まさずみ)
兵庫県立大学 自然・環境科学研究所/ 兵庫県立人と自然の博物館
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