資料の管理と活用
ひとはくには100万点を超える昆虫標本や60万点に及ぶ植物標本などの膨大な資料が保管されています.標本資料の管理や活用は博物館の基幹事業であり,必ずしも十分ではない予算や人員の下で,標本資料の管理や活用を,どのように円滑に事業を進めていくかは,ひとはくだけでなく,世界の博物館の共通の課題になっています.我が国の施策においても、生物多様性情報の活用は、内閣府が進めるオープンデータ化による観光と地方創生の推進をはじめ、環境省による生物多様性国家戦略、文部科学省によるSociety 5.0の推進においても基盤的な役割を果たしています。
ひとはくでは,世界の博物館に先んじて,標本管理の自動化や低コストで安全な保存技術の開発などに取り組み,博物館の基幹事業のイノベーションを成し遂げてきました.さらに,それらの新規技術が,他の博物館への水平展開だけでなく、特定外来生物ヒアリの国内定着阻止の技術として,環境省との協働で社会実装化されるなど,博物館の外でも大きな貢献を果たしています.ここでは,ひとはくが開発した標本保全・管理技術や,その社会貢献について,簡単に報告します.
ひとはくによる標本管理・保全の新規技術の開発
1) 植物標本のデジタル化技術の開発と標本情報の活用促進
標本のデジタル画像化は,破損や劣化を懸念することなく,誰もが標本を利用できるようにする技術です.しかし,従来の植物標本デジタル化の手法では,作業に膨大なコストと時間が必要で,さらに,標本の採集地などが記載された標本ラベルは人が別途読み込んでデータ化しており,博物館が収蔵する植物標本の迅速な活用を妨げる大きな課題となっていました.ひとはくでは植物標本の高精度画像を,1日当たり500から1000点撮影可能な新規技術と標本ラベルもOCR(光学文字認識)で読み取り,人工知能(AI)を活用してデジタル化する技術を開発しました. その結果,約2年間で合計19万点の兵庫県産植物標本の画像化を完了,現在,Web上で,兵庫県産植物種の標本を閲覧できる画像データベースの公開準備を進めています.
高速・高精度標本画像撮影装置の開発 人工知能を活用した標本ラベル読み取り技術
Takano, A., Y. Horiuchi, Y.Fujimoto, K. Aoki, H.Mitsuhashi, A.Takahashi. (2019) Simple but long-lasting: A specimen imaging method applicable for small- and medium-sized herbaria. Phytokeys 118:1-14.
「機械学習とOCRを用いた植物標本画像からのラベル情報自動取得プログラムの開発」. ―文部科学省科学研究費基盤研究(C)(代表:高野温子、分担:三橋弘宗他、民間企業出身者を含めた共同研究:2019年度~2023年度)
高野温子・堀内保彦・青木滉太・藤本悠・三橋弘宗.植物標本デジタル画像化とOCRによるラベルデータ自動読み取り手法の開発. 植物地理・分類研究(accepted)
2) 昆虫標本のDNA 保全手法の開発―安価に,簡単に昆虫の遺伝子情報を後世に伝える
近年の遺伝解析技術の進展によって標本からDNA を取り出し,過去の遺伝的多様性の変化など解析することができるようになりました.しかし,乾燥させて作る昆虫標本では数カ月でDNA に劣化が起こります.また,標本を冷凍保存すればDNA を保持できますが,それには設備やコストが必要になります.ひとはくでは,食品保存などに使われているプロピレングリコールを用い,遺伝解析用サンプルを保存する技術を開発しました.本技術は標本一点当たり10円程度のコストで使用することができ,さらに,遺伝解析用サンプルは昆虫乾燥標本と同じ条件で保管できます.この新たな昆虫標本作成技術によって,遺伝情報が保存された昆虫標本を多数作製することが可能になり,ひとはくだけでなく,世界中の博物館で昆虫標本に遺伝資源としての新たな価値を付加することが可能になりました.
開発したDNA保存手法によって作製された昆虫標本 ひとはくのDNA 保存技術を紹介した新聞記事
Nakahama, N et al. (2019). Methods for retaining well-preserved DNA with dried specimens of insects. European Journal of Entomology, 116, 486-491.
ひとはく開発の標本管理・保全の技術で,日本をヒアリから守る
1) わさびを使った標本燻蒸技術を活用したヒアリ混入防止技術の開発
博物館で収蔵標本の防虫,防カビ管理のために使われてきた燻蒸剤など化学薬品には,健康被害やオゾン層の破壊などの懸念が指摘されていて,それに替わる安全で,簡便な標本保全の新規技術の開発が強く望まれています. ひとはくでは,天然由来の強力な防虫,殺菌成分である「わさび成分AITC」を新しい忌避剤や燻蒸剤として収蔵庫内の標本保管に使う技術開発を産学連携で進めてきました.2017年5月、特定外来生物ヒアリの国内初侵入が、兵庫県尼崎市と神戸港で中国輸入コンテナから初確認されたのを受け,ひとはくでは,環境省や国立環境研などとの協働のもと,この「わさび」を使った新しい忌避剤や燻蒸剤の技術を中国コンテナへのヒアリ混入防止の忌避剤や国内で発見されたヒアリの燻蒸剤として活用する社会実装化にも取り組み,博物館技術の社会還元でも大きな成果を上げています.
ひとはくのマイクロカプセル化わさびを使った安全で簡便な標本燻蒸技術 ヒアリの忌避・燻蒸殺虫にも活用
国内だけでなく,国外でも,ひとはくの技術は大きく報道された
Hashimoto, Y.et al. (2019). Wasabi versus red imported fire ants: preliminary test of repellency of microencapsulated allyl isothiocyanate against Solenopsis invicta (Hymenoptera: Formicidae) using bait traps in Taiwan. Applied entomology and zoology, 54(2), 193-196.
Hashimoto, Y.et al. (2020). The effect of fumigation with microencapsulated allyl isothiocyanate in a gas-barrier bag against Solenopsis invicta Buren (Hymenoptera: Formicidae). Applied entomology and zoology (投稿中)
もりや産業株式会社研究寄付金「マイクロカプセル化したワサビ成分を用いた、ヒアリ等の外来生物に対する忌避効果」に関する研究
2) 標本の樹脂含浸技術(プラスティネーション)を活用したヒアリ定着防止手法の開発
ひとはくでは標本の保存,活用のために,シリコン樹脂などを含浸するプラスティネーション標本の独自技術の開発を行ってきました.本技術によって,これまで保存や展示が難しかったキノコや水生動物などを展示として活用することに成功し、この技法は高校生によるキノコ展の継続的な実施、町家などの歴史的建造物を利用した移動展や学校教育に活用されています.さらに、2017年のヒアリ侵入時より、施工の簡便性を活かし、港湾や道路の小規模な補修に適していると考えて、技術開発を進めてきました。2019年12月に,東京港のコンテナヤードの舗装面にできた亀裂や破損箇所がヒアリ営巣場所になり,そこから有翅新女王アリが東京都内に飛翔分散した可能が高い事案発生を受けて,環境省や国土交通省などと協働のもと,この技術をヤードの補修に活用する試みを本格化しました.本技術を使うことで,コンテナヤードでの物流を止めることなく,安全,簡便にヒアリ定着防止の施工が可能になるため,東京湾での試行のあと,全国の港湾などで,ひとはくの標本製作技術がヒアリ対策に大きく貢献することになります.また、2020年2月14日には、ひとはくにて県庁との共同による技術講習会を開催し、全国から行政関係者や実務者が100名以上集まり技術移転やネットワーク形成を図ることで、実践的な研究成果に基づいたシンクタンク活動となりました。
ひとはくの標本プラチネーション技術による展示標本
コンテナヤードのヒアリ定着阻止のためにひとはくの標本プラチネーション技術の活用
ひとはくの技術を使った外来昆虫対策の技術講習会を開催
「自然史標本の汎用化と収蔵展示技法の体系構築」.文部科学省科学研究費基盤研究(B).(代表:三橋弘宗、分担:橋本佳明、高野温子他、全国の自然史博物館とのネットワークによる共同研究:2019年度~2023年度)