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5月30日におこなわれるセミナーの下見のため、白髪岳(しらがだけ)に行ってきました。
今回の白髪岳のセミナーは、ただ植物を観察するだけでなく、参加される方と一緒に植物調査をおこないます。前回は文保寺周辺で調査しましたが、今回は白髪岳山頂まで登ります。

今日は曇り空で山登りには最適でしたが、予想より蒸し蒸しする天気で、汗だくになりながら登りました。
もしかして端境期で花が何もないかもしれないと心配しましたが、ツツジの仲間が沢山花をつけていました。

最後の登りはロープを伝っていくところがあります。30日はあまり良くないとの予報ですから、足下の準備を怠らないようにしましょう。

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山本伸子(自然・環境評価研究部)

2007年に奈良県の橿原市昆虫館が特別展「バッタ・コオロギ・キリギリス」を開催しました。その後、この展示を元に巡回できるものをパックにして、NPO西日本自然史系博物館ネットワークに所属する諸館に「巡回展」を呼びかけました。その結果、伊丹市昆虫館→大阪市立自然史博物館→きしわだ自然資料館→兵庫県立人と自然の博物館(ひとはく)→多賀町立博物館→橿原市昆虫館の順序で開催することが決まりました。「ひとはく」では、初夏から鳴き始める鳴く虫があまり知られていないことに着目し、「初夏の鳴く虫と巡回展」というタイトルにしましたが、もう少しインパクトをと、鳴く虫研究会「きんひばり」にアイデアを求め、「ぎっちょん君、参上!」という副題がつきました。

ちょうどそのころ、佐用町にある「兵庫県昆虫館」が「佐用町昆虫館」に脱皮するときで、新生記念の「巡回展」をする話がもちあがりました。しかし、日程その他で調整がつかず、上郡町の「赤松の郷昆虫文化館」でサテライト展示「虫かごの今昔と鳴く虫文化」を同時開催して頂くことになりました。ひとはくにも虫かご数点が展示されます。

「巡回展」のメインの展示物は、日本直翅類学会監修の写真パネルです。生きた鳴く虫の姿を満喫できます。この生態写真を見ながら、伊丹市昆虫館製作の解説や、きしわだ自然資料館製作の解説をお読み下さい。ひとはくの「初夏の鳴く虫とは」も必見です。

ひとはく独自の標本類(写真左)につづいて、竹細工の鳴く虫コーナーをつくりました。竹細工作家・戸田和孝氏にオリジナル作品をお願いし、6/21のオープンセミナー「竹細工で鳴く虫をつくろう」の優秀作品も展示予定です。

最後は昆虫生態写真家・栗林慧コーナーです(写真右)。栗林氏には、ひとはく開館時の最初の企画展でお世話になりました。当時「自然の瞬間をとらえる」と題した45点の企画展を開催したのですが、そのうちの19点を厳選しました。関連イベントは、8/1()に開催される栗林氏の講演会「鳴く虫撮影の思い出」です。

 

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4階の「ひとはくサロン」にも楽しい展示・イベントがあります。オープンセミナーで色塗りした体長約2mの巨大キリギリスにご注目下さい。

 

                   (自然・環境マネジメント研究部主任研究員 大谷 剛)

インドネシアは広い国です。広い国土と自然の中で人びとがさまざまにくふうしたために、文化や食べ物もさまざまです。もともとインドネシアはひとつの民族からなり立っているというよりも、さまざまな民族がより集まってできた<人工の国>でした。ですから、もともとは民族集団ごとに特色のある文化があり、料理があったのです――料理はりっぱな食の文化です。ところが、そのようなインドネシアにも、例外的にひろく拡がった料理があります。それはパダン料理です。

 パダン料理は「インドネシア料理」と紹介されることがありますが、もともとスマトラ島の一地方料理、ミナン・カバウの料理でした。ミナン・カバウは西スマトラ州のミナン・ハイランドと呼ばれる山岳地域を中心に住んでいたのですが、今では西スマトラ州――そこにパダンという都市があります――はおろか、インドネシア全体にひろがりました。なぜ、そんなに広がったのでしょう?それはミナン・カバウの伝統社会のあり方と、おおいに関係があります。

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(写真:パダン料理店 屋根は典型的な「ウシのつの」型をしています。建物の右下には、外からでも見えるように、いくつもの料理が並んでいます。)

 

 皆さんは母系(ぼけい)社会という言葉(ことば)をご存じでしょうか?現在の日本では、人は死ぬ前に遺言(ゆいごん)を書いておけば、たとえば自分の財産(ざいさん)を受け取る人を決めておくことができます。遺言がなかったら、男であるか女であるかを問わず、家族ならどの人でも、法律で決まったわりあいで受け取ることができます。財産以外では、これは法律で決めてあるわけではありませんが、たとえば誰がお墓を護(まも)るのかといったことを習慣として決めておきました。このことを相続(そうぞく)と言います。母系社会というのは、その相続が母や母の祖先から娘にされる社会です。前回、紹介したアグロフォレスト(=屋敷林:やしき・りん)も、ミナン・カバウの人たちにとっては母の持ち物であり、娘に引き継がれるべき財産です。

 ミナン・カバウは、現在でも母系社会をたもっています。ただ母系社会とはいっても、お父さんの役目は、日本で見るのと変わりはありません。ある日、パダンのアンダラス大学でお世話になった先生のおうちで、夕食をごちそうになったのですが、その家庭のホスト役は、おだやかなお父さんが、もの静かに務めておられました。母家長(ぼ・かちょう)であるはずのお母さんはごちそうをつくるのに忙しく、あまり長い間おしゃべりをしたという記憶はありません。

 いずれにせよ、システムとしては母系の社会なのです。そして旅が自由にできる社会でもあるのでしょう。土地にしばられるようなかつての日本では考えにくかったことですが、男たちは皆、商人としてあちこちに散っていきます。そんな商人のうち、料理の好きな男たちが、自分たちの食べている料理を食堂に並べたのです。それは出身地の名前をとって「パダンの料理」、つまりパダン料理と呼ばれました。これが「インドネシア料理」の代名詞であるパダン料理の由来です。

 

パダン料理店では、お客が食事に来ると、まず、小皿に盛った肉やさかなを、これでもか、これでもかと、お客の前のテーブルいっぱいに並べます。その中から、お客は、自分の食べたいものを好きなだけ食べ、最後に店員が客の食べたものを確かめて、お金を請求するというやり方です。この方法だと、自分の腹具合にあわせて好きな物をほしいだけ食べらます。その上、あまりインドネシア語ができなくても問題にはなりません。よい制度だと思うのですが、でも、ついつい食べ過ぎてしまう人もいるかもしれません。

s-mitani3-2.jpg(写真2:レストランで働く若い男たち 女に比べて圧倒的に多くの男、というより少年が働いています。)

 

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(写真3:わたしの前に並んだ料理の数かず すべて食べるわけではありません。基本的に、牛肉と鶏肉、それに魚料理です。左の白いひげ面がわたし。右はアンダラス大学の講師リザルディさん。)

 

スマトラ島はインドネシアでは、いちばんイスラームの影響が強いところですから、パダン料理ではブタ肉とお酒は絶対に出ません。豚肉とお酒は、イスラームではタブーです。それにインドに近いからでしょうか、パダン料理にはカレー粉をよく使います。「インドネシア料理」とカレー粉の取り合わせは、パダン料理の影響だと思います。でもパダン料理には、ほとんど野菜を使いません。ミナン・カバウの人たちは、野菜の代わりに果物を大量に食べて、繊維質やビタミンを補うのだそうです。それでも、西スマトラは高血圧の人が多いのだと聞きました。

 

s-mitani3-4.jpg(写真4:屋台に並べられたドリアン パダンの街(まち)はドリアンの季節でした。家のアグロフォレストから取ってきて、屋台に並べます。すると、ほしい人がひとつひとつ品定めをして、よいと思うドリアンを割ってもらいます。すると大きな種を包む甘い種皮があらわれます。ほおばるとカスタード・クリームのようです。)

あちこちに散っていったミナン・カバウの人たちは、パダン料理を食べるとき以外でも、郷里である西スマトラの山や田んぼをなつかしく思うのでしょうか?
 
 なつかしく思うのだと思います。たとえば、インドネシアで一番大きな大都市ジャカルタには、ミナン・カバウの各村の同郷会があります。この同郷会は、たいへん人びとの結びつきが強く、たとえジャカルタ生まれであったとしても、自分はミナン・カバウだという思いは消えないそうです。
 
 その他にも、在ジャカルタ・西スマトラ州連絡事務所という、まるで「ミナン・カバウ大使館」のようなはたらきをしている事務所や、ミナン・カバウの伝統的な踊りや音楽を演ずるための組織、ミナン・カバウの言葉を守ろうというのでしょうか、ミナン・カバウ・アナウンサー協会といった専門家の団体まであります。このようなミナン・カバウの組織は、今でも、西スマトラの郷里に残る人びとと深い精神的つながりを絶やすことはないようです。
 
 わたしは昔から、パダンや西スマトラ州周辺のべつの都市を訪れたとき、若い男性のなれなれしさにおどろいたことがありました。そのような「なれなれしさ」は、この文章を書いていて、旅と漂泊(ひょうはく)の裏返しなのではないかと気がつきました。父系(ふけい)社会と土地にしばられた日本では、なかなか見られなかったことです。でも漂泊の人生は、たとえば中国やインドの人びと、「アラブの商人」と呼ばれるイスラーム世界の人びと、ロマの人びとなど、地球の上では広く見られます。そのことを思うと、案外、日本のような「同じ場所に住み続ける人」の方が珍しいのかもしれないなどと考えたりもします。
 
 今回の文章では、東南アジア研究21巻に載っていた加藤 剛さん(1983)の「都市と移住民:ジャカルタ在住ミナンカバウの事例」という論文を参考にしました。(つづく)
 
三谷 雅純(みたに まさずみ)
兵庫県立大学 自然・環境科学研究所/ 兵庫県立人と自然の博物館

 

※このブログで掲載されている文章・写真の無断転用・転載はご遠慮ください。

 

4月25日より「ひとはく恐竜・化石大作戦!」が始まりました。

ゴールデンウィークのフロアスタッフとあそぼうでは、「恐竜化石・骨パズル」で骨の部位を覚えて、骨格標本の巨大パズルに挑戦しました。

スタンプラリーの「ろっこつ」・「びつい」・「けつどうきゅう」・「のうかん」の名前と場所覚えたかな?

 

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                            写真:ほねパズルをはめている様子

 

毎週日曜日(5月3,10,17,24,31日)は恐竜ラボ解説のあと、「恐竜の歯のレプリカ作り」を有料でおこないました。「おゆまる」をあたため型に入れて作ります。

たくさんの方が参加してくださり「歯」の化石レプリカを2種類作りました。

 

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                写真2;歯のレプリカを作っている様子

 

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                             写真3:歯のレプリカできあがり!

 

     

6月は「画はくの日」「鳴く虫おめんをつくろう」「鳥の巣づくり」「かたつむりクイリング」を予定しています。

イベントの詳しい内容は、「うきうきカレンダー」を見てチェックしてくださいネ!

6月6日より『初夏の鳴く虫と巡回展〜ぎっちょん君 参上!〜』が始まります。

どんな鳴く虫がやってくるかな・・・?どうぞ!お楽しみに!!

みなさまのご来館、心よりお待ちしております。

                 

               フロントスタッフ  西口 浩子

 

 

昨年に引き続き、今年も「ドリームスタジオ体験セミナー」をします。

このセミナーは、来館者に自分たちの趣味や特技を生かしたメニューで

「ミニドリームスタジオ」を計画・実施します。

その過程で博物館の裏側をのぞく「ひとはく探検」収蔵庫を見てみよう!や

「むしむしガーデン」での観察会なども予定しています。

自然の事に興味のある方、子供大好き!なかた、是非是非ご参加ください。

 

    昨年の様子

 

  1-1.jpg        グループワーク中

 

 

1-2.jpgのサムネール画像                 ひとはく探検中!

 

 

1-3.jpgミニドリームスタジオ実施、たくさんの方に楽しんでもらいました。

 

 

開催期間:2009年7月〜8月 全5回

 

詳細はチラシに記載しています。

(こちらを参照ください。

 表:http://hitohaku.jp/top/pdf/kmik01.pdf

 裏:http://hitohaku.jp/top/pdf/kmik02.pdf )

 

皆さんの応募、お待ちしています。

 

          NPO法人 人と自然の会
                 長里芙美子

 

 

 

 

 

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