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ひとはくは、8月27日号 週刊文春で「まだ間に合う子どもと学ぶ夏休み〜親子で行きたい博物館」に、全国にある博物館の中から、東京の国立科学博物館、科学技術館に次いで、堂々3位に入って紹介されました。O(≧▽≦)O ワーイ♪

本当嬉しいと思うと同時に、「そうなんですよ!」と言いたい、言わせてください。

毎日、研究員などによる、セミナーやイベントがもりだくさん。

8月29日(土)〜31日(月)はこの夏最後となるの「昆虫標本づくり実演コーナー」です。プロから標本づくりの極意を聞いてみよう〜。

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(昆虫標本づくり:沢田研究員)

フロントスタッフによる、夏休み特別イベント平日11時〜11時30分「うきうきタイム」も大好評。

何をするかは来てのお楽しみ♪

展示室ツアーやデジタル紙芝居は毎日やってますよ。

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(展示室ツアー:氷上回廊)

そして、「初夏の鳴く虫と巡回展 ぎっちょん君参上!」の展示も31日まで。

最終日には、講談師 河南堂珍元斎による「ノコギリ名人 ぎっちょん君誕生!」の講談がありますよ〜。

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(河南堂一座による講談のようす)

しかも、9月末まで「やっぱり、ひょうごキャンペーン」期間中のため観覧料を値下げしています。

キャンペーンについては、こちらから→

http://www.hyogo-tourism.jp/campaign/

 

この堂々第3位のランキングについては、ひとはく連携活動グループrunrunplazaのブログでも紹介されていますので、ぜひ見てくださ〜い☆

http://runrunplaza05.blog.so-net.ne.jp/2009-08-24?comment_fail=1#commentblock&time=1251179033

そう、ひとはくは「まだ間に合う 子どもと学ぶ夏休み〜親子で行きたい」博物館なんです。

みなさまのお越しをお待ちしております☆

                                生涯学習課 小林美樹

 夏休みももうすぐ終わるという時期,いつものようにクヌギやコナ
ラなどの樹をゴン!と蹴っても,もはやシロテンハナムグリやカナブ
ンが一斉に飛び立ったりすることもなく,カブトムシも終わっており,
クワガタが落ちればラッキーなほうです.
 代わりに小枝が数本パサバサ落ちてきてきます.小さな虫らきモノ
も数個落下して,ポツポツと音をたてて下草の中に.それが(たぶん)
ハイイロチョッキリです.

 深田公園には蹴れるようなポイントもなく,多くの場所で下草も落
葉もなかったりします.21日の夕方に「ふかたん」の下見をしていて,
コナラやクヌギの木の下に落ちている小枝をたくさん見かけました.
それぞれの小枝にはドングリがついています.ハイイロチョッキリが
ドングリに産卵し,枝ごと切り落としたものです.

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 ハイイロチョッキリは灰色というよりは黄土色の虫で,大きい♀で
は9mmに達する,日本産では最大級のチョッキリです.長い口吻が特
徴です.この口吻でドングリの殻斗の縁付近の薄い部分に穿孔して産
卵します.枝の切り落としもこの口吻で行います.
 ただ,低い所で作業していないと,虫そのものを見つけるのは難し
いかもしれません(成虫の写真↓は三田市内の別の場所で撮影).

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 この時期,クヌギにはクヌギシギゾウムシもいます.ただし,スズ
メバチには気をつけましょう.

昆虫共生・沢田佳久

 前回は、スマトラ島の大きな町パダンからインドネシア中に拡がったパダン料理の由来と、ミナン・カバウの伝統社会についてお話ししました。今回は、ミナン・カバウの男たちの暮らしについてお話ししましょう。

0809_MMitani4-1.jpg                  (写真:上空から見たパダン上空のようすです。むこうに見えるのがバリサン
 
        山脈、手前はインド洋です。川が蛇行しているのがよくわかります。)

 


 ミナン・カバウは母系社会(ぼけい・しゃかい)です。母系社会というのは、財産や義務の相続(そうぞく)が、母や母の祖先から娘になされる社会のことです。そして、旅が勧められる社会でもあるのです。男たちは皆、あちこちに散っていきます。そんな人のうち、料理の好きな男たちが、自分たちの食べている料理を食堂に並べたのです。それは出身地の名前をとって「パダンの料理」と呼ばれました。これが「インドネシア料理」の代名詞となったパダン料理の由来でした。


 
 「旅が勧められる社会」というと、まず思い出すのは「イスラーム世界のラクダの旅」でしょうか? 王子さま、王女さまが「ラクダに乗って砂漠を旅する」というロマンチックな情景は、歌にも歌われています――実際にラクダに乗ってみたことのある人はわかるでしょうが、ラクダの背中は、乗ってみるとロマンチックでも何でもありません。ラクダが咬みつくことがありますし、尻は痛みます――。インド洋に面したスマトラ島は、インドネシアの中でも、特にイスラームの影響がつよく、ミナン・カバウの人びとも熱心なムスレムとして知られています。「旅が勧められる社会」というのもイスラームの影響だろうかと思ってしまいます。しかし、じっさいには、イスラームの人びとがやってくる以前からミナン・カバウの人びとが持っていた社会習慣でした。


 
ミナン・カバウの人の割合を見ると、多くのコミュニティーはリアウ州やジャンビ州、北スマトラ州という、パダンのある西スマトラ州にとなりあった場所に見られますが、それとともにインドネシアの首都である巨大都市ジャカルタや、さらには半島にある西マレーシア、人工的な都市国家シンガポールにも見られます。シンガポールには華僑やマレーシア人とともに、ジャワ人、ミナン・カバウ人、オラン・ラウト(現在のインドネシア語では「海の人」という意味です。マレー語でも同じ意味でしょうか? “海の民”とでも訳しておきます。土地に定住しない、ノマッドとしてくらす人びとのことです)など、多くの民族が住んでいます。

0809_MMITANI4-2.jpg          (写真2:ブタオザルにヤシの実の収穫をさせていた男性にであいました。
         写真は、まだ若いオスのブタオザルだと思います。男性がつなをひいてサル
         の動きをコントロールします。)



 研究のために日本に来ているリザルディさんは、若いミナン・カバウの男性です。ある時、リザルディさんに、ミナン・カバウの「旅が勧められる社会」についてうかがったことがあります。わたしは、ミナン・カバウは、華僑、つまり「中国から海外に進出した漢民族」に似ているような気がしたのです。するとリザルディさんは、

 「ミナン人――ミナン・カバウの人は、自分たちのことをミナン人と呼びます――と華僑は似たところもありますが、本質は違います。華僑は資本をつぎ込んで大きな商売をしますが、ミナン人は小さな商いです。華僑が家族で移住してくるのに対して、ミナン人は、男だけが“一旗揚げに”よそへ出ていくです。ミナン人は、いつも、もどるべき故郷は確保しています」

と教えてくれました。さらに、

 
  「ミナン人には、成功した人もいますが、事業に行き詰まって貧乏をしている人がいます。でも、ミナン人に共通することは、程度の差はありますが、町と故郷を行ったり来たりしていることです」

  ともつけ加えました。華僑は親せきや縁者をたよって家族ともども海外に出て行き、新しい土地に住み着いて、そこでコミュニティーをつくります。神戸や横浜の「中華街」は、そんな人びとによって作られたコミュニティーです。


 リザルディさんの教えてくれたことを、わたしなりに解釈すると、(現在の?、あるいは伝統的な?)ミナン・カバウの人びとは華僑のように移住するのではなく、田や畑は故郷に残したまま、規模の小さな商売(=行商?)をしにいろいろなところに出ていくのです。つまり、田や畑やアグロフォレストや家は、女性にしっかり守ってもらって、男たちは、さまざまな冒険の旅に出たということでしょう。わたしは男ですが、このような生活にはあこがれてしまいます。

 

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        (写真3:リザルディさんの生まれた家は、この近くだそうです。山の斜面に
         つくられた畑があります。葉が赤い木は、日本でも人気が高いクスノキ科の
  
       シナモンです。大切な換金作物です。)



 いにしえのミナン・カバウの移住者や開拓者にかかわる伝説はスマトラ島のあちこちに残っています。スマトラ島ばかりでなく、西マレ- シアは、ミナン・カバウによって15世紀から16世紀にかけて開拓された土地だそうです。

 
ミナン・カバウには、このような文化習慣があったのですが、最近はそれがくずれてきたといいます。たとえばジャカルタのミナン・カバウは、前回も紹介した加藤 剛さんの「都市と移住民:ジャカルタ在住ミナンカバウの事例」(東南アジア研究21巻、1983年)によると、「長期定着を目的とする遠距離都市への核家族ぐるみの移住が一般的となっている。ミナンカバウのいう、“中国風ムランタウ”(=華僑のような家族ぐるみの移住:三谷 注)である。大消費人口をかかえる都市の出現により、行商にしろ露天商にしろ、定着的な商いが可能になり、ひいては核家族による移住が可能となった」のだそうです。<ムランタウ>というのは地理的な移動のことを指します。もともとは「知識や富、名声を求めて村を出ること」を意味しました。現在の貨幣経済(かへい・けいざい)の影響も大きいのでしょう。


 
リザルディさんは、今はアンダラス大学の講師ですが、大学院生のころは日本に留学していました。わたしとは日本留学中に知り合いました。留学のために日本に来て、初めて帰る時には、何をみやげに持って帰るかを真剣に考えたといいます。相手の年齢や、その人が男か女かといったことをよく考えなければなりません。日本に<ムランタウ>をして「知識や富、名声」が手に入った(?)のですから、村に帰る時には山のようなおみやげが必要だったのでしょう。しかし今は、それほど真剣には考えなくなったということでした。(つづく)


   
三谷 雅純(みたに まさずみ)
   兵庫県立大学 自然・環境科学研究所/ 兵庫県立人と自然の博物館

 

※このブログで掲載されている文章・写真の無断転用・転載はご遠慮ください。

□ピクニックは社交の場

家族や仲間はもちろん、気心の知れた人ばかりでなく、ご近所さんやちょっとした顔見知りもお誘いしてピクニックに出かけるのはどうでしょう。普段は挨拶を交わすだけの間柄でも、芝生のラグの上で食べ物を挟んで向き合えば、会話も自然と弾みます。ピクニックはフラットでオープンな社交の場でもあるのです。

 

□ピクニックは人と自然とのふれあい

普段は通り過ぎるだけの芝生に腰を降ろしてみれば、日常の風景も少しだけ違って見えるかもしれません。私たちの身の回りには小さな自然がいっぱい潜んでいます。そんな身近な自然を再発見できるのもピクニックの魅力の一つかもしれません。腰を降ろした芝生、影をつくる樹木、頬をなでる風や眩しい太陽の光まで、ピクニックは豊かな自然に囲まれて生きることの喜びを実感させてくれます。

 

□ひとはくはあなたのピクニックを応援します

人と自然の博物館の周りにもピクニックに最適な場所がいっぱいです。特に目の前の深田公園は、樹林にはさまれた谷一面にみどりの絨毯が広がっており、いつでも私たちのピクニックを待っています。緩やかな傾斜の広大な芝生は、2人の親密なピクニックから1万人の壮大なピクニックまで、どんなピクニックにも対応可能。日中の炎天下はひとはくで過ごし、夕方の納涼ピクニックに繰り出すのはいかがでしょうか?

 

                          takeda2-2.JPG  

 

 

武田重昭(自然・環境マネジメント研究部)

7月28日〜8月4日で実施された第11回ボルネオジャングル体験スクール。お陰様で、ジャングルでの感動を胸に、全員無事に帰国することができました。

私にとって初のジャングルは、50mを超えるメンガリスの巨木が連なる景色から始まりました。ボルネオ島北部には、この木に精霊が住むという信仰があり、伐採が好まれなかったために、たくさん残っているのだそうです。ジャングルの中に、自然に対する人間の畏敬の念を感じました。

IMG_9658.jpgのサムネール画像(写真:メンガリス)

トレッキングでは、オラウータン、テナガザル、ミケリスなど野生では見たことのない動物たちとの遭遇の連続でした。偶然通りかかった橋の上から、全長2mにも及ぶマレーオオトカゲがゆったりと川を横断する姿を目撃した時の感動は忘れられません。エサを探しているのか、川の両岸を行き来していました。時折岩の上に顔を出して、休憩します。その瞬間をパチリ。これほど大型のものは、なかなかお目にかかれないのだそうです。

 

 

DSC06700.JPG                      (写真2:岩の上で休憩中のマレーオオトカゲ)

 

スクール生もそれぞれに、様々な生き物との出会いに感動していたようです。私は見ることができなかったのですが、ナイトドライブでマレーヒヨケザルが木の幹にひっついている姿に遭遇した班や、幸運にもゾウに会えた子もいたようです。

直径3cmもある巨大なタマヤスデはみんなの人気者。人が近づくと体をまるめるので、手に乗せたり転がしたりして遊びます。タイガーリーチと呼ばれるヒルに血を吸われて、Tシャツが血まみれになった子もいました。そんなタイガーリーチにも数日経てば慣れてきて、手に乗せてもへっちゃらに。

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                  (写真3:タマヤスデ)

 

それにしても、スクール生の目と耳の良さには感服しました。樹上のトカゲやサルを瞬時に見つけて教えてくれる姿はとても頼もしかったです。テナガザルの鳴き声を真似して、本物と掛け合いを始めるスクール生には驚かされました。現地のガイドからも、「Human Gibon!(人間テナガザルだ!)」と称されるほどでした。

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        (写真4:テナガザルを観察するスクール生)

 

自然の圧倒的なエネルギーを感じたあっという間の7日間でした。スクール生にとっても、きっと貴重な体験になったのではないでしょうか。ジャングルでの感動を胸に留め、ぜひ日本での学習に活かしてもらえたらと思います。

 

            上田 萌子(自然・環境マネジメント研究部)

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