ユニバーサル・ミュージアムをめざして10
失語症者に助けてもらう−3
活字を大きくして,漢字に直した,デイジー版『くんくんくん おいしそう』は,協力して下さった多くの失語症者にも理解していただけたようです.ただ,どうしても理解できない人がいました.どうしたのでしょう?
「失語症者に助けてもらう−1」に,すでに書いた事ですが,わたしたちはたくさんの失語症者を前にすると,どうしても「失語症者」とひとくくりにしがちです.でも,障がいは人によって違います.<話せない>人や<書けない>人だけでなく,<聞いて理解できない>人も<読んで理解できない>人もいます.そんな人が、デイジー版の『くんくんくん おいしそう』を「分からない」と言っておられたのです.この困難をどう克服するかは,これからの課題です.
聴覚失認の人 (注1) にも,うまく聞いてもらう事ができませんでした.
聴覚失認の人は,耳では音を「聞いている」のですが,脳が音を認識できません.その上,話すことや書く事もうまくできません.そんな人は,普通の人のように,短時間で もの事を理解するのが大変なのです.このことは、失語症者友の会の代表の方からも、うかがっていました。それでも皆さん、知識を求めておられるのです。
わたしがデイジーで作った文章は,(わたしが付いていたとしても)機械で伝えるのですから,「相手が理解できた事を確かめて,次を読む・画面に表示する」ということはできません.できる事と言ったって,せいぜい <読む・画面に表示する> スピードを変える事ぐらいです.
「機械で作った声」を聞いてもらったのも問題だったかもしれません.人間の声と機械の声は,同じように聞こえても微妙に違います.「『機械で作った声』は,どこか違う」と指摘した失語症の方もいらっしゃいました.
人間の声と機械の声は微妙に違うから,朗読ボランティアという存在が必要なのです.でも,わたしの回りに朗読をして下さる方は,さしあたって見つかりませんでした.第一,これは研究なのですから,本当は朗読をして下さる方にアルバイト代をお払いして,読んでもらうべきなのです.しかし,残念ながら,そんなお金はありませんでした.ただ、DAISYを作ったり,<聞く・読む>ためのソフトは、無償で手に入ります (注2).最初のうちは,これで充分です.
でも,こんな研究は,何だかすてきだと思いませんか?
失語症者でも,症状の重い人は「保護を受けるだけの人」だと思われてきました――今でもそう思っている方が,障がい者の側にも,障がい者でない人にも,たくさんいらっしゃいます.ところがユニバーサル・ミュージアムの実現には,健常者には不可能な<独特の感じ方>が大切なのです.そんな特別な<独特の感じ方>をする人は,まだ,わたしたちが気づいていないだけで,世の中には,たくさん,いらっしゃることでしょう.それは何も障がい者に限った事ではありません.
ある展示を見た時,健常者はガラスの中に展示されたものを普通に見,パネルに印刷された解説を,普通の事として読みます.しかし,視覚障がい者はガラスに囲まれた展示物など何もわかりませんし,コミュニケーション障がい者はパネルに何が書いてあるのかがわかりません.この研究では,コミュニケーション障がい者の代表として,失語症者が協力してくれたのです.
前にも「ユニバーサル・ミュージアム:ことばの整理」に書いたことがあります.ユニバーサル・ミュージアムというのは,ユニバーサル・デザイン――デザインは美しいに超した事はありませんから,インクルーシブ・デザイン――の考え方を取り込んだ博物館や美術館や図書館といった生涯学習施設(しょうがいがくしゅう・しせつ)のことです.みんなの知恵を集めれば,みんなでいっしょに使えるものになる.その「みんな」の中には,いろいろな障がい者もいれば,母語の違う(日本語がうまく話せない)人もいる.小さな子どももいれば,おじいさんや おばあさん もいるのです.そうした人が誰でも気がねなく集まって,学べる場所を作る.そんな場所を創造する.それが<ユニバーサル・ミュージアムを作る>という意味です.
ユニバーサル社会という理想があります.それが実現したら,どんな社会ができるのか,わたしにはまだ,よくわかりません.しかし,ユニバーサル社会は創造していかなければなりません.そしてユニバーサル社会とは,働き盛りの,健康な人だけが作るのではありません.決して「保護を授(さず)ける社会」がユニバーサル社会ではないからです.それは多様な人――健常者や障がい者や母語の違う人や年齢の違う人やら――が力を合わせて作り出す,未来のあるべき社会です.そのひな形がユニバーサル・ミュージアムなのです.
わたしは,ユニバーサル・ミュージアムというのは,ユニバーサル社会を実現するための社会実験だと思います.
三谷 雅純(みたに まさずみ)
兵庫県立大学 自然・環境科学研究所
/ 人と自然の博物館
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(注1) 医学的には,人のしゃべり声と,風の音や水の音のような環境音(かんきょう・おん)は別なのだそうです.人のしゃべり声が認識できないと純粋語聾(ご・ろう),環境音が聞こえないと(狭い意味の)聴覚失認(ちょうかく・しつにん)と呼ぶそうです.ですから,デイジー版の絵本の機械で作った「声」が聞こえないのなら,本当は語聾(ご・ろう)と言うべきかもしれません.ここでは音が認識できない人を,広い意味で「聴覚失認」と呼んでいます.その人は,大人(おとな)になってから失語症になったので,中途失聴者(ちゅうと・しっちょうしゃ)――普通に生活をしてきたのに,事故や病気で聞こえ方が悪くなった人――の立ち場に似ています.
(注2) Microsoft Windows のパソコンに Word というワード・プロセッサが入っていれば,Word 2007,Word 2003,またはWord XPの文書からなら,組み込みソフトSave as DAISY Translator2.1.1.0日本語版でデイジー文書が簡単に作れます.Save as DAISY Translator2.1.1.0日本語版は,(財)日本障害者リハビリテーション協会DAISY研究センターのウェブサイトから,無償でダウンロードできます.
ただし,音声合成エンジンをインストールしていないとデイジーはできません.DAISY Translatorを使用して音声の入ったデイジー文書を作成するには,音声合成エンジンが必要なのです.マイクロソフトで,障害のある人向けに日本語音声合成エンジンを配ってくれます.無償です.ドキュメントトーカ日本語音声合成エンジン (クリエートシステム開発株式会社製) のCD-ROM申し込み先は次の通りです.
デイジー文書の再生ソフトは,ATDOのウェブサイトから AMIS3.1日本語版が無償でダウンロードできます.