



ユニバーサル・ミュージアムをめざして36
脳の多様性?-2
三谷 雅純(みたに まさずみ)
前回から書いている『脳の個性を才能にかえる―子どもの発達障害との向き合い方―』(トーマス・アームストロング著、中尾ゆかり訳、NHK出版)を読んで感じた、わたしの読後感の続きです。
ひとつ、おことわりです。実は昨日(2013年 9月 9日)まで霊長類学会(正確には第29回日本霊長類学会・日本哺乳類学会2013年度 合同大会)という大会があり、わたしも出席していました。その大会が終わって、昨日帰ってから、このブログを書き足そうと思っていたのですが、疲れてしまって書き足せませんでした。それで、このブログは「脳の多様性?-2」にして、残りは次に書くことにします。中途半端ですいません。
☆ ☆
アームストロングさんは『脳の個性を才能にかえる』を、8つの原則ではじめます。それは:
1.人間の脳は機械ではなく生態系に似ている。
2.人間も人間の脳も、能力の連続体のどこかに位置する。
3.人間の能力は所属する文化の価値観で決まる。
4.障害があると見られるか、才能に恵まれていると見られるかは、生まれた場所と時代で決まる。
5.人生で成功する鍵は、周りの世界のニーズに脳を適応させること。
6.人生で成功するのは、個性的な脳のニーズに合わせてまわりの世界を修正することも必要(ニッチづくり)。
7.ニッチづくりには、個性的な脳をもつ人特有のニーズに合う職業や生き方の選択、支援ツール、支援者など、人生を豊かにする手だても必要。
8.積極的なニッチづくりは脳に直接働きかけ、ひいては周囲に適応する能力を高める。
の8つです。2の「連続体」は、最近の言葉では自閉症スペクトラムと同じ意味です。社会の多数者は「ふつう」と「障がい」は別ものだと思っているかもしれないが、本当はつながっていて、「ふつう」と「障がい」は区別できないのだという事です。この8つの原則を、私なりに解釈してみましょう。
人間の脳が複雑であるのと同じように、我われが生きている社会も複雑です。現代社会では「障がいがある」と見なされている「個性豊かな脳」は、その個性ゆえに支援ツールや支援者の助け、場合によっては薬が必要な場合があります。しかし、支援や薬よりも大事な事があります。それは才能を生かせる場所を探すという事です。なければ新しく作るのです。「脳」と「社会」はお互いに影響し合います。「脳」と「社会」は独立しているわけではありません。
これがアームストロングさんの言いたいことだと思います。
☆ ☆
わたしはこの本を読む時、ずっと気にかかっていることがありました。それはアームストロングさんが、「ふつう」の人を、どんなふうに考えているのだろうということです。今は変わってきたかもしれませんが、少し前の日本の教育現場では、「クラスには多数の『ふつう』の子どもがいる」と考えるのが常識でした。少数の障がいのある子どもは、「ふつう」の子どもがたくさんいるクラスに混ぜてもらっている。そして「『ふつう』の子どもと障がい児は区別できる」と考える教師が多かったと思います。言い方を変えれば、例えば発達障がいを例に取ると、ADHD(注意欠損/多動性障がい)や学習障がい、自閉傾向のある子どもが、突然、「ふつう」の子どもになったりしない。そして「ふつう」の子どもが、突然、学習障がいになったりはしない。それは障がいのある子どもは遺伝子レベルで「病気に罹(かか)っている」からというのが大きな理由です。
それなら、なぜ、障がい児の授業を「ふつう」の子どもがいるクラスで受けるのでしょうか? 普通のスピードや、普通の難しさでやる授業は、障がい児の負担になるのではないでしょうか?
誠実な教師や誠実な医師にこの疑問をぶつけると、大抵(たいてい)は次のように答えます。それは障がい児が「ふつう」の子どもといっしょに生活する練習をしておかなかったら、これから先ざき、(「ふつう」の人が作る「ふつう」の)社会で暮らしていくのが難しくなる。そのような「ふつう」の多数者に合わせる練習を、あらかじめすることが大切だというのです。
先に挙げた考え方では、「ふつう」の人が作る社会や「ふつう」の人がいるクラスは固定していて、そこに障がい者が「入れてもらう」、「ふつう」の人の側では「入れてあげる」ことになります。しかし、アームストロングさんが8つの原則で言っているのは、「『ふつう』の人が作る固定した社会などは、実は存在しない」ということのようです。認識や発想の仕方が、根本的に違うのです。
別の言い方をすると、「『ふつう』の人が作る社会」というのは、アームストロングさんにとっては「あったらいいな」というぐらいの幻想に過ぎず、現実の社会や、社会の幼い雛形(ひながた)であるクラスとは、さまざまな個性のぶつかり合う、多様性に満ちた場所なのだというのです。それにしても、「あったらいいな」と「誤解」しているのは、誰なのでしょうか?
以前、インクルーシブ教育について書いたことがあります。「インクルーシブ教育」というのは、ユネスコがスペイン政府といっしょにスペインの大学町・サラマンカで出した「サラマンカ宣言」で有名になった言葉です。「ユニバーサル・ミュージアムをめざして21: サラマンカ宣言があった!ー1」 (1) で、わたしは、
「インクルーシブ」というのは、あえて日本語にすれば「多くを含んだ」という意味です。「多様な要求を持った」とでも訳せばよいのでしょうか。ここでは、たとえ普通学校であっても、すべての子どもが「ふつう」という規準に合わせるのではなく、子どもはひとりひとり、みんな違うのだから、いろいろな子どもの「当然の要求」、つまり「ニーズ」を学校の側が形やプログラムを柔軟に変えて、尊重しなければいけないという意味で使っています。(ユニバーサル・ミュージアムをめざして21: サラマンカ宣言があった!ー1)
と説明をしました。この言葉を今のテーマに置き換えれば「個性豊かな脳」を持った子どもたちが創り出すクラスの雰囲気や未来の社会の姿は、誰か有力な人が描いたクラス像や社会像を実現するのではなく、「個性豊かな脳」を持つ子どもたち一人ひとりの興味や学習の都合で入れ代わる、柔軟な、共同作業の結果だと言ってよいのかもしれません。
そこでは「ふつう」の子どもや「ふつう」の人は、たまたま、ある集団で人数が多いのであって、「多数者だからと言って、何でも意見が通る」というようには考えません。例えば、コンピュータの扱いは高機能自閉症者が強いでしょうし、音楽はダウン症者が大好きでしょう。その時は自閉症者やダウン症者が活躍するのだと思います。しかし、それでも自閉症者やダウン症者は少数者であることには変わりません。
アームストロングさんも、「ふつう」の人については、たまたま多数者であって、多数者に合わせるのではなく、教師の側は「子ども一人ひとりの自然な発達を信じる」(9章 脳の多様性に満ちた教室、p. 249)ことが重要だと述べています。
つぎに続きます。
------------------------------------------------
(1) http://hitohaku.jp/blog/2013/01/post_1680/
三谷 雅純(みたに まさずみ)
兵庫県立大学 自然・環境科学研究所
/人と自然の博物館
先生、あんなあ。小泉凡塾長からメッセ-ジもろてん。
先生も読んでみてな。
五感力を育む「子ども塾」
「子ども塾」プロジェクトの誕生は、2004年、小泉八雲没後百年の年に遡ります。記念事業の実行委員会の中で、未来の松江を担う子どもたちに、現代社会の中でも輝きを失わない小泉八雲の意味を継承する企画をという声があり、それを実践したのが「子ども塾―スーパーヘルンさん講座―」です。
バーチャルの世界にいる時間が急速に長くなった現代の子どもたちに、もっとも継承させたいのは八雲の五感力でした。16歳で失明した八雲は、生涯、五感を研ぎ澄ませて生きました。八雲の作品が読み継がれる大きな理由は、彼があらゆる身体感覚を通して明治の日本をとらえていたからだと思います。以来、「子ども塾」では、「町の音」「蝉の声」「海辺の生活」「怪談」「虫の音」「人力車」「怪談屋敷」など、毎年、少しずつテーマと活動場所を変えて、小学校4年生から中学生を対象に、小泉八雲を通して五感を磨くイベント(教育実践)として夏休みに開催してきました。
今年の「子ども塾」は小泉八雲記念館の企画展「ヘルンさんとタヨウ星人」と連動して、8月17・19・20日の3日間、おもに松江市の出雲かんべの里周辺で行いました。特別講師に、企画展のタヨウ星人の作者で講談師・画家の珍元斎さんと兵庫県立人と自然の博物館の鈴木武さんと大谷剛さんを迎えて、生物多様性の意味と大切さをお話と生きもの散歩で体感しました。また、ヘルンの耳と自然観についても塾長の話と記念館・旧居訪問から学びました。「いろいろな違った生き物がいること」「それぞれの場所に違った生き物がいること」(サンインマイマイ、シロマイマイなど)、そして松江にはじつに豊かな自然が残されていることを喜びとともに感じた3日間でした。
6人の子どもたちは、その体験をもとに、オリジナルのタヨウ星人や生きものの世界を絵で表現したり、生物多様性をモチーフとする物語をつくったりしました。今年も「子どもの才能って、すばらしい!」と痛感しながら作業を見守りました。ヘルンが、将来の日本に最も必要だと説いたのは、自然との共生を続けるということでした。そんなヘルンの思いも、子どもたちは十分受け止めてくれたように思います。
2013年8月
子ども塾―スーパーヘルンさん講座―塾長
島根県立大学短期大学部教授
小泉 凡
旅するオスの蚊、ラフ・カ・ディオはんや。
血ィ吸うたろかあ~ブーン。オスやさかい花の蜜や果汁ばっかり吸うとうから、わい、いっぺん血ィ吸うてみたいんやけど…で、先生、夏休みの宿題のつづきや…
そう、この夏大忙しやった話や。
花火がきれかったなあと思とう間にあっという間にお盆が過ぎて、8月19日のことや。
島根県美で子どもたちのタヨウ星人展がこの日まであり、今日はスーパーヘルンさん講座こども塾や。
これは小泉凡さんが塾長で子どもたちの五感をみがこうとはじまった松江市主催の講座で今年で10回目。ちんげんさいは前はひとはくの職員やったけど今回は地域研究員としての2回目の講師や。
大谷剛名誉研究員(同2回目)と鈴木武研究員とで松江の風土記の丘にあるかんべの里で、植物や虫とったりさわったり、虫の声聞いたりして自分のタヨウ星人をつくり、そのタヨウ星人のお話をつくり演じるという内容。「ほんまにできるんかいな?ちんげんさい。」とさめた目で見とったんやけど…まずはいつもの講談から。
絵巻のヘルンさんの散歩だけやなくショートストーリーも演じたんや。ほんで、超真夏の暑さの中、みんなでいきもの探検へ。山や田んぼ…あちこち行ったがさすが子どもらは元気や。いろんな生き物を捕まえた。カジカ、ヤモリ、ドジョウ、トノサマガエル、コシボソヤンマ、エンマコオロギ、キリギリス、ヒグラシ、アリジゴク、ニイニイゼミの抜け殻、シロマイマイ、ワラビ、ウラジロなどタヨウな生き物に出会うことができたんや。
「タヨウ星人考えてきてな。」とちんげんさいから宿題が出て1日目終了。 そのあと大谷研究員と鈴木研究員が記念館を訪れ、それぞれがモデルとなったタヨウ星人ハチミツカメンとネズミマイマイに対面…
それから来場者のコメント帳を見てみたら…ようけ書いてあんがな…一部紹介しとくわ。
パラパラマンガ、絵巻、紙芝居、巨大絵などでタヨウな表現でタヨウなタヨウ星人ものがたりが出来た~凡塾長もびっくり。
出来た作品は市役所に飾られ、 ほんま、子どもは天才やなあと思うたで、先生。
ヘルンさんとタヨウ星人展は9月15日に一畑百貨店だんだんサロンでの「ちんげんさいのタヨウ星人な時間~立版古大作戦!」のワークショップが最後のようや。夏休みは終わったけどタヨウ星人な時間はまだある。先生、また日記書くから読んでな!
先生、あんなぁ。
旅するオスの蚊、ラフ・カ・ディオはんや。
血ィ吸うたろかあ~ブーン。オスやから血ィ吸われへんけど…夏休みの宿題忘れとった…で、遅なったけど写真日記出すわな。
この夏わいら松江のタヨウ星人は大忙しやったんや。
4月から小泉八雲記念館でヘルンさんとタヨウ星人展いうんがはじまったんや。まちのあちこちにポスターやタヨウ星人が出没して、
まずは、5月5日のこどもの日は、記念館で八雲はんのひ孫小泉凡はんとちんげんさいのギャラリートークからイベントがスタート。
この夏休みは日記どころやあれへんほど出番があって、8月4日に島根県立美術館で「タヨウ星人アートであーそーぼっ。」や。ここは宍道湖畔にあるきれいな美術館で
島根県美版タヨウ星人「ソバーナードリーチ」「ワシワシ」
やたかいよしかずさんの友情描き下ろし作品「シンジコシジミグマ」
も登場して、
ヘルンさんの今の日本を予言するような文章を紹介しはったりして、こどもら真面目に聞いとったで。
わいは岩槻はんの朗読はじめて聞いたわ。岩槻はんはヘルンさんの文章を講演なんかでよう引用してはって、その縁からちんげんさいの応援にきてくれはったんやがな。横でちんげんさいも神妙に聞いとった。
今回の話はヘルンさんが散歩していると風が吹いて風景ががらっとかわりタヨウ星人たちが神在月の松江に集まってくるお話や。よこで広がるのんはいつもの大型紙芝居絵巻や。
いつもギリギリでちんげんさいからドッと送られてくるイラストを大文字屋分店がブツブツいいながら?つくった力作や。集まった親子はそのあとちんげんさいからキャラクターの描き方聞いて、自分のオリジナルタヨウ星人アートをつくるんや。まあ、ようけのタヨウ星人仲間ができたがな。
美術館の学芸員さんも岩槻はんも描いてたがなあ。びっくりや。どれが岩槻はんの作品かあててみてなあ。
そして、大橋川に夕日は沈み、タヨウ星人展開催を祝う花火がバーンとあがり..........