最近ひとはく収蔵のササ類標本から、タイプ標本やその他の重要標本の発見が相次いでいます。これは結構凄いことです。なぜかというと、ササ類の区別が出来る人は今の日本にはそういないからです。その貴重な人材が複数名、ひとはくの収蔵庫を訪れては次々に色んな発見をしてくださっています。
他の顕花植物と違い、ササ類は毎年同じ時期に花を咲かせることをしません。毎年咲かない上に互いに似通っているので、ササ類の同定には、葉や茎(=稈)等に生える毛の状態が重視されます。ですが「毛」なので、出始めの春先の頃はよくても、梅雨から夏へと季節が変わる毎に段々と抜け落ち、夏以降は元々無毛か毛が落ちてしまったのか、よくわからなくなります。また「毛」なので、個体により量の多少や変異はつきものです。自信をもって同定出来るようになるには、まず生きた状態のササ類を沢山観察することが必要だそうです(ササ類愛好家 M氏談)。恥ずかしながら、私はいまだに自信を持って鑑定が出来ませんが、、。
兵庫県には室井綽先生、岡村はた先生などササ類の研究で有名な方がおられ、先生方の採集されたササ標本がひとはくにあることはわかっていたのですが、私自身は横目で眺めるだけでした。当館のササ類標本を鑑定に来てくださった支倉千賀子さん(東京農大)が、タイプ標本等重要な標本を沢山発見されました。これからしばらくは、見つかったササ類の重要標本を紹介したいと思います。文章は、支倉他 2020. 兵庫県立人と自然の博物館植物標本庫(HYO)「頌栄コレクション」から見出された特筆すべきササ類標本(兵庫の植物 30号5‐32頁)を一部改変しています。
ヤマキタダケのアイソレクトタイプ(副選定基準標本)
Isolectotype of Arundinaria yamakitensis Makino in J. Jap. Bot. 3: 4 (1926).
ヤマキタダケは1926年に牧野富太郎により記載されたササ類で,原記載によれば,基準標本は相模・山北(現在の神奈川県山北町)で,牧野富太郎自身が1921年1月20日に採集したものとされています(Makino 1926).しかし,支倉さんらの調査によると,牧野は1921年11月20日には山北には行った記録はなく,さらに基準標本と目された標本に貼られたラベルの日付(1921年1月20日)も間違いで,状況証拠からそれらは1921年2月20日に採集されたものと推測されました(支倉・池田 2015).今年は2021年ですから、ちょうど100年前の今頃、牧野富太郎は山北町でこの標本を採っていたのです。
1921年2月20日(ラベル上は11月20日)に採集されたヤマキタダケの標本は,東京都立大学牧野標本館(MAK)から3枚,大阪市立自然史博物館の植物標本庫から2枚見いだされ,(支倉・池田2015)は牧野標本館の標本中の1点 (MAK-291809-2/2) をレクトタイプ(選定基準標本)に選定しました.
今回ひとはくから見つかったのは牧野標本館から頌栄短大に送られた交換標本で,MAKのヘッダのついたラベルに "Yamakita, Ashigarakami-gun, Kanagawa Pref. Date: Nov. 20, 1921 Coll.: Tomitaro MAKINO Det. M. Muramatsu (1996)" とタイプされ,"291809" の番号が振ってありました (HYO_C2-135054: Fig. 1).これは支倉・池田 (2015) で指定したレクトタイプの情報と一致し,この標本がヤマキタダケのレクトタイプの重複標本,すなわちアイソレクトタイプ(副選定基準標本)であると考えられました.
ちなみに,MAK の同定ラベルを用いて同定している "M. Muramatsu" は,元岡山大学農学部教授の村松幹夫博士のことで,1996年当時村松博士が牧野標本館のタケ・ササ類の標本整理にあたられていたそうです.また,"H. Okamura" による同定ラベルが貼付されていますが,これは標本が牧野標本館から頌栄短大に送られた後、岡村はた氏によって再同定されたもののようです.標本左上には支倉さんによる同定ラベルが貼られています。村松博士はヤダケ、岡村はた先生はスズダケと同定した標本でしたが、支倉さんによってヤマキタダケと決着がつきました。貼られたアノテーションの数からも、ササ類の分類の難しさを感じて頂けるのではないでしょうか。
(自然・環境評価研究部 高野温子)