サンインヒエスゲC arex jubozanensis J.Oda & A. Tanaka(パラタイプ)
今回ご紹介するのは、2004年に発表されたサンインヒエスゲというカヤツリグサ科スゲ属ヒエスゲ節に属する植物のパラタイプ標本です。学名の種小名jubozanensisはホロタイプの産地である鳥取県の鷲峰山(じゅぼうざん)にちなみます。
サンインヒエスゲ記載論文で引用されパラタイプとなった細見末男氏の標本は、当初ホソバカンスゲと認識されて収蔵庫に納められていました。2003年1月、ひとはくに新種発表のための植物標本調査に来られた織田二郎氏が、ホソバカンスゲ標本の束に入っていたこの標本を発表準備中のサンインヒエスゲと認識し、アノテーションスリップ(the annotation slip)を添付されました。アノテーションスリップとは、標本ラベルの学名が誤っていると認識した場合に、正しい学名と記入者の名前と日付を書いて貼り付ける小さなラベルのことです。左の写真の標本では標本ラベルのすぐ上に貼られています。
織田氏が貼られたスリップは、厳密なことを言えば貼った時点においては論文発表前なので正式な学名ではなく裸名ですが(論文が審査されている途中で学名を変更することは時々あります)、本ケースにおいてはこの学名で論文として受理され正式な学名になったので、結果オーライといったところでしょうか。新しい分類群を発表する際には、出来るだけ多くの収蔵庫で標本を見て新種の標本が埋もれていないかを探し、分布域の推定を行います。織田氏らは新種発表の準備のため京大(KYO)、金沢大(KANA)、それにひとはくに足を運んで標本調査を行い、サンインヒエスゲの分布が若狭湾を挟んだ日本海沿岸地域であることを確認し、それら標本庫で発見したサンインヒエスゲ標本をパラタイプとして引用した。ということになります。
サンインヒエスゲの記載論文(Oda et al. 2003 Acta Phytotax.Geobot. 54:127-135)の一部。 赤丸で囲った部分が、パラタイプにあたる標本の引用部分。赤下線部がひとはく収蔵の細見末男氏の標本。
植物の名前は、採集した時にはきちんと分からないことがままあります。ひょっとして間違っているかも、、と思いつつも、とりあえず「この植物名にしておいて、そんなに大間違いじゃないだろう」という名前でラベルを作成してしまうことも(大きな声では言えませんが)あります。そうしないといつまでたっても標本整理が終わりませんし、標本庫に配架されなければ他の人の目に触れる機会も失うからです。標本庫にある標本の名前が合っている(=正しく同定されている)確率は実際は50パーセント程という報告や、生物の新種の半分以上は野外からではなく標本庫から見つかっている。という報告もあるくらいです。標本全部が名無しの権兵衛では博物館としても困るのですが、近いと思しき分類群の名前をつけておけば、将来その分類群の専門家がやってきて調査をしたときに、今回のように新種として認識されタイプ標本になる可能性もなくはないのです。
(自然・環境評価研究部 高野温子)