タイプ標本という用語を聞かれたことはあるでしょうか。学術標本の中でも特に重要なもので、ひとはくには昆虫や植物のタイプ標本が千点以上収蔵されています。
現生の生き物であれ恐竜に代表されるような化石種であれ、新種に学名をつけるときには、国際的なルールである命名規約に法った形で発表する必要があります。現生植物の場合は国際藻類・菌類・植物命名規約に従います。新種を発表するまでの大筋はどの生物群でも同じで、新種の形態的・生態的な特徴を詳細に記述し、近縁種との類似性や相違点について議論した論文を、査読のある学術雑誌等に発表するという手続きを踏みます。その際、論文には新種の存在の証拠となる標本を引用しなければなりません。それがタイプ標本です。いわばその種の「メートル原器」というわけです。これがなくなると、種を規定する「物差し」がなくなるわけで大問題です。ですので、タイプ標本は個人で所蔵するのではなく、公共性と永続性が担保された公立博物館に納めることが推奨されています。逆に言えば公立博物館は、それら標本を未来に継承する義務を負っているのです。
植物標本は他の生物群と異なり、虫害、カビ害や火災による消失のリスクがある一方、一か所で複数個体を採集することが比較的容易で同じ種の標本を多数つくりやすいため、リスク分散のために重複標本(同じ日、同じ場所で、同じ人が採集した同種の標本)を作って各地の植物標本庫に配布することが推奨されています。ですので、植物特有の命名規約上のルールとタイプ標本があります。タイプ標本の種類を説明すると、最も重要なのは記載論文で命名者が定めるタイプで、ホロタイプ(Holotype: 正基準標本)と呼ばれます。2021年現在、藻類・菌類・植物命名規約に従えば新種記載のホロタイプ標本の引用の際には、どこの植物標本庫にある標本かまで指定しなければなりません。往々にしてホロタイプにも重複標本が存在するからです。ホロタイプの重複標本で、指定された植物標本庫以外の標本庫に収蔵されているものはアイソタイプ(Isotype: 副基準標本)と呼ばれます。アイソタイプは植物命名規約にのみ出てくる用語です。ただタイプ標本がメートル原器とはいえ、生物には多少とも個体間変異があるのが普通ですから、変異の幅を示すためにも記載論文に標本が複数点引用されることが望ましいです。ですので、タイプ標本以外にも可能な限り多くの新種の標本を引用します。記載論文中に引用されたホロタイプ、アイソタイプ以外の新種標本のことをパラタイプ(Paratype: 従基準標本)と呼びます。
ここでご紹介するのは、ボルネオ島のほぼ真ん中にあるミュラー山脈(Müller Range)の植物調査を行った時に発見された、ショウガ科の新属新種Myxochlamys mullerensisのアイソタイプ標本です。外国人がインドネシア政府から許可を得て調査研究を実施する際には色々と条件がつきますが、その中に「新種を見つけた場合は、ホロタイプをボゴール植物園に納めること。」というものがあります。ですのでホロタイプはボゴールに納めた標本を指定しました。その重複標本を京都大学総合博物館とひとはくに収蔵したので、ひとはくのMyxochlamys標本はアイソタイプというわけです。
ところで、「属」というのは似た種を集めて作る分類学上のカテゴリですが、この種を記載したとき、既存のどの属のカテゴリにも合わないので新属記載も一緒に行うことにしました。本種を記載した際には1属1種でしたが、その後別の種がみつかり、現在Myxochlamysは1属2種となっています。
Myxochlamys の新属新種記載論文の一部(Takano & Nagamasu 2007)。
赤線で囲った部分がタイプ標本の指定箇所。標本の詳細情報(採取された産地、採集日、採集者番号)のあとに(Holo-BO; iso- HYO, KYO)とあるが、ここがタイプ標本が収められた植物標本庫を略称で指定している部分となる。BOはボゴール植物園(インドネシア)、HYOはひとはく、KYOは京都大学総合博物館の植物標本庫の略記号。Myxochlamysのホロタイプはボゴール植物園、アイソタイプはひとはくと京大総合博物館収蔵の標本である。という意味になる。
(自然・環境評価研究部 高野温子)