ユニバーサル・ミュージアムをめざして86
インフォームド・コンセント(十分に説明を聞いた上での同意)
三谷 雅純(みたに まさずみ)
わたしがやっているメーリング・リスト「サイエンス・サロン」にお便りを下さる方が、新聞で見たと言って大阪府堺市の国際障害者交流センター、通称ビッグ・アイ (1) のことを紹介して下さいました (2)。ネットで調べてみると、ビッグ・アイ の主な活動は芸術・旅行・セミナーの三つのようです。
芸術は障がい者にも多くの愛好者がいます。わたしがよく話題として取り上げる高次脳機能障がい者や失語症者には、〈ことば〉のコミュニケーションは苦手な人が多いので、絵や写真、音楽といった〈ことば〉に頼らなくても成立する芸術は人気が高いのです。
ビッグ・アイは障がい者に旅行を勧めています。ビッグ・アイが進めている「バリアフリー・ユニバーサル デザイン旅行」とは、さまざまな障がい者が行きやすいようにと考えた旅行のことです。全国の旅行会社や団体にアンケートを採った支援対象の障がいとは、視覚障がい(全盲)、視覚障がい(弱視など)、聴覚障がい、知的障がい、精神障がい、車いす(歩行不可)、車いす(歩行可能)、電動車いす、人工透析、高齢者(要介護)、高齢者(要支援)、療養者となっていました (3) 。
ビッグ・アイのホームページには、各旅行社が寄せたアンケートも載っていました。アンケートの中には重度障がい者や重複障がい者、電動車いすの利用者とともに、脳梗塞、脳血管障がいの後遺症のある人や知的障がい者の援助が得意だと答えたところもあります (4) 。しかし多くの旅行社は、どちらかと言えばコミュニケーションの取りやすい障がい者の援助が多い気がしました。
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わたしは高次脳機能障がい者や失語症者の協力を得て視聴覚実験を行っています。どんな緊急放送や館内放送であれば高次脳機能障がい者や失語症者は聞きやすいのかを知りたいのです。病気をして以来のわたしの友人には、もともと多くの高次脳機能障がい者や失語症者の皆さんがいますから、常識的なことであれば何のためらいもなく頼んでみます。たいていは「視聴覚実験をしたいので協力して下さい」と言うと、気楽に応じてくれるのです。しかし、わたしは実験を研究としてやるのですから、被験者の皆さんには重い責任があります。そこで「インフォームド・コンセント」、つまり「十分に説明を理解した上での同意」をもらっています。
「十分に説明」をする時、書類だけでは読んでも分からない人がいます。書類はフォントや行間を直して高次脳機能障がい者や失語症者にわかりやすくした文章を使うというだけではなく、同じ文章をスライドにし、プロジェクターで投影して画像を大きく拡大して、わたしが声に出して読んで説明することを試みています。
高次脳機能障がい者や失語症者にわかりやすい文章は、だいたい書き方が分かってきました (5) (6)。ところが書いた文章だけでは全く理解できない人がいます。失語症状の重い人です。そんな人には人の肉声が理解してもらいやすいのだ (7) と分かりました。ゆっくり、読み上げると分かってもらえます。そこに笑顔が加わると、リラックスしてもっと分かりやすくなります。ですから、被験者への説明に、わたしが微笑みながら声に出すことは、とても効果的なのです。
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高次脳機能障がい者や失語症者に研究の内容を説明して「十分に説明を聞いた上での同意」をもらうことが重要な理由は、その他に、まだあります。それを理解するためには、高次脳機能障がい者や失語症者の立場を我が身に置き換えて考えてみることが近道だと思います。
あなたは理性的に考えることができるのですが、肉声であっても説明を聞くのが苦手であったり、声に出すことがなかなかできないとします。考える能力や結論はあるのです。ただ結論を伝える方法はないのです。
このような時、成年後見制度を利用すればよいと考える人がいるかもしれません。「成年後見制度」とは、認知症や知的障害、精神障害などで判断能力が低下している人のために助けてくれる人を、家庭裁判所に頼んで選んでもらうことです。財産の管理や契約を安全に行うために必要です。しかし、「結論を伝える方法がない」状態と「判断能力が低下している」状態とでは全く異なります。今は成年後見制度を利用することはおかしいのです。成年後見制度では何も解決しません。
高次脳機能障がい者や失語症者というのは、ひとりで言葉の通じない外国に出かけた時のようものかもしれません。何しろ「結論を伝える方法がない」のですから。このあたりが多くの人には理解できないようです。
そこで、我われが期待する制度が「会話パートナー」です (8)。「会話パートナー」は高次脳機能障がい者や失語症者の考えを「翻訳する」「通訳する」という重大な、しかも難しい役割を担っています。
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わたしは自分の行う視聴覚実験で使うために、「人を対象とする医学系研究に関する倫理指針」(文部科学省・厚生労働省, 2014)(9) を参照しました。読んでみると研究者の責務や組織の責任、被験者に対する人権の配慮など、だいたいは頷(うなず)けることばかりでした。その中でひとつ、わたしが注目した記述がありました。それは研究者の出す研究計画書を倫理や科学の見方からおかしくないかを判断する倫理審査委員会の構成要件まで読み進んだ時です。そこには:
倫理審査委員会の構成は、研究計画書の審査等の業務を適切に実施できるよう、次に掲げる要件の全てを満たさなければならず、①から③までに掲げる者については、それぞれ他を同時に兼ねることはできない。会議の成立についても同様の要件とする。
① 医学・医療の専門家等、自然科学の有識者が含まれていること。
② 倫理学・法律学の専門家等、人文・社会科学の有識者が含まれていること。
③ 研究対象者の観点も含めて一般の立場から意見を述べることのできる者が含まれていること。
④ 倫理審査委員会の設置者の所属機関に所属しない者が複数含まれていること。
⑤ 男女両性で構成されていること。
⑥ 5名以上であること。
とありました(倫理指針の16ページ)。わたしが注目したのは、この内の ③ です。「研究対象者」とは、視聴覚実験では被験者のことです。つまり「研究対象者の観点も含めて一般の立場から意見を述べることのできる者」とは、高次脳機能障がいや失語症であればその当事者が、それが難しければ家族や支援者といった「自然科学や人文・社会科学の有識者ではなく、一般の立場から意見を述べることのできる者」が、必ず倫理審査委員会のメンバーに入っていなければいけないと書いてあるのです。これはまさに当事者(か、それにきわめて近い人、少なくとも共感できる人)の参加をうながすものです。
国の委員会には障害者基本計画にかかわる取り決めに意見を言う障害者政策委員会が定められています。この委員には当事者か、それにきわめて近い人が多く含まれています (10)。地方自治体にも、例えば兵庫県には建物の作りや仕組みが障がい者にとって使いやすいかどうかをアドバイスする「福祉のまちづくりアドバイザー」として、障がい当事者の立場から意見を言う「利用者アドバイザー」がいます (11)。また千葉県の「障害のある人に対する情報保障のためのガイドライン」(12) 改定のための会議委員には、多くの障がい者団体の方が参加されています。
しかし国と地方公共団体を含めて、その他、数多くの委員会に障がい者は参加していません。上に上げた福祉現場のごく一部に参加しているだけです。わたしは、当事者が自らに関わる社会の仕組みに意見を言うことは当たり前だと感じます。それとともに一般の社会には、障がい者を初めとするさまざまなマイノリティが住むことが当然なのだから、マイノリティがマイノリティとして社会の仕組みに意見を主張することも当然のはずです。マジョリティだけで構成された国や地方自治体の委員会など、どれだけ頑張っても当事者の生の声は聞こえてきません。
いくつかの障がい者に関わる法律や条令は、これまで、目につきやすい身体障がいをもとに立案され、施行されてきました。そんな中で、発達障がいや高次脳機能障がい、失語症など、脳に関わる障がいは最近になって組み込まれました。行政の中にも当然、脳に関わる障がい者のエキスパートはいます。しかし、組み込まれた歴史が浅く、その知恵が組織全体に共有されていないのです。そのためにエキスパートのいる部署では対応ができる場合もありますが、系統だって対応しているところは存在しない、と言って悪ければ、ごくひと握りです。
どなたかの「医学研究のための倫理審査委員」などは、わたしは当事者なのですから、ぴったりです。同様にマイノリティの多様な意見が活かされない社会は、マジョリティにとっても住みにくい。わたしはマイノリティのひとりとして、つくづく、そう思っています。
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(1) 国際障害者交流センター、通称ビッグ・アイは
http://big-i.jp/contents/about/about_big-i.html
にあります。
(2) 紹介して下さったのは、産経新聞【日曜に書く】「障害は人にあるのではない、環境にあるのだ」(論説委員・佐野慎輔さん)の
http://www.sankei.com/column/news/161218/clm1612180004-n1.html
http://www.sankei.com/column/news/161218/clm1612180004-n2.html
http://www.sankei.com/column/news/161218/clm1612180004-n3.html
でした。
(3) ビッグ・アイの旅行に関する取り組みは、バリアフリー・ユニバーサルデザイン旅行に関して
http://big-i.jp/contents/pages/worldi/udtravel/
にありました。
(4) とくに脳梗塞、脳血管障がいの後遺症のある人や知的障がい者の援助が得意だと答えたアンケートは「チックトラベルセンター」(名古屋)のものでした。回答は:
http://big-i.jp/contents/pages/worldi/udtravel/answer_tictravel.html
にあります。
(5) 三谷 (2011) ユニバーサル・ミュージアムで文章はどう書くべきか: コミュニケーション障がい者への対応を中心にした年齢,発達,障がいの有無によるギャップ克服の試み. 人と自然 Humans and Nature 22: 43−51.
http://www.hitohaku.jp/publication/r-bulletin/HN22_06_43_51-1.pdf
(6) 三谷 (2013) 生涯学習施設は言葉やコミュニケーションに障がいを持つ人とどう向き合うべきか : 総説. 人と自然 Humans and Nature 24: 33−44.
http://www.hitohaku.jp/publication/r-bulletin/No24_04-1.pdf
(7) 三谷 (2015) 聞くことに困難のある人がわかりやすい音声: 視覚刺激の付加により高次脳機能障がい者の理解は進むか. 人と自然 Humans and Nature 26: 27−35.
http://www.hitohaku.jp/publication/r-bulletin/NO26_004-1.pdf
(8) 「ユニバーサル・ミュージアム:言葉でない〈ことば〉を「通訳」すること」
http://www.hitohaku.jp/blog/2016/11/82/
(9) 文部科学省・厚生労働省(2014)「人を対象とする医学系研究に関する倫理指針」
http://www.lifescience.mext.go.jp/files/pdf/n1443_01.pdf
厚生労働省 (2008) 「臨床研究に関する倫理指針」
http://www.mhlw.go.jp/general/seido/kousei/i-kenkyu/rinsyo/dl/shishin.pdf
にも似た約束はあるのですが、「研究対象者の観点も含めて」という文言(もんごん)が抜けています。
(10) 内閣府 障害者政策委員会のページ:
http://www8.cao.go.jp/shougai/suishin/seisaku_iinkai/index.html#shouiinkai
(11) 兵庫県の福祉のまちづくり(福祉のまちづくり条例・バリアフリー関連事業)のページ
https://web.pref.hyogo.lg.jp/ks18/kendo-toshiseisaku/hukumachi/201209_renewal/hukushi_top-page.html
に「チェック&アドバイス制度」
https://web.pref.hyogo.lg.jp/ks18/kendo-toshiseisaku/hukumachi/201209_renewal/check_and_advice.html
があります。しかし、これは「福祉のまちづくり」という枠組みだからなのかもしれませんが、情報保障の見方は弱いようです。
(12) 千葉県の「障害のある人に対する情報保障のためのガイドライン」のページ
https://www.pref.chiba.lg.jp/shoufuku/shougai-kurashi/jouhouhoshou/
は情報保障に特化したものですが、高次脳機能障がい者や失語症者の意見はあまりないようです。
三谷 雅純(みたに まさずみ)
コミュニケーション・デザイン研究ユニット
兵庫県立大学 自然・環境科学研究所
/人と自然の博物館