ユニバーサル・ミュージアムをめざして73
「異文化」間の対話
三谷 雅純(みたに まさずみ)
異文化に属する研究者おふたりの対話を「拝見する」機会がありました.
対話は議論ではありません.相手を言い負かすことが目的ではなく,相手の意見も認めながらも自分の意見をしっかり示すものです.ですから「対話」が成立するためには,自分の意見をしっかり持つこと,そして互いに度量の大きさや精神的な余裕が必要です.
おふたりは異なる文化に属する方です.文化に重い軽いはありません.その意味でおふたりは自分の属す文化に高いプライドを持ち,同時に異なる文化には敬意を払うべきだと,日頃からヒリヒリと感じておられるはずです.
まず男性がその対話の意義を説明します.おふたりの研究者に共通してわかる〈ことば〉は,もちろんあるのですが,日常,使っている〈ことば〉は異なります.そのために,一見,おふたりがコミュニケーションすることは難しそうです.ところが現在のICT(インフォメーション・アンド・コミュニケーション・テクノロジー:情報通信技術)を使えば,そんなおふたりがコミュニケーションすることも,さほど難しくなくなりました.この対話のテーマ設定や話に必要な時間はどれくらいを想定しているかといった打ち合わせは,メールを使えばまたたく間にできてしまいます.このようにして打ち合わせをなさったのでしょう.
にこにこ微笑んでおられる女性は流れるように手を動かします.笑っておられること以外わたしにはわからなかったのですが,確かに口元も動いているようでした.ただ,女性のおっしゃったことがわかる方はあまりいないらしく,女性は意味の切れ目で〈ことば〉を止め,それを同時通訳者の女性が訳していかれます.男性も女性の〈ことば〉がわからないので,通訳の方が訳すのを待ってご返事をなさいます.
対話はこうしてゆっくりと,しかし確実に進んでいきました.
その対話から,わたしも初めて女性のたどった道筋を知りました.その女性によれば,研究職に就くまで女性は旅行会社に勤めていたそうです.最初はコンピュータの画面上で,その内,自分と同じ〈ことば〉をしゃべる人たちの旅行に添乗するようになったそうです.
女性の転機はヨーロッパで国際語に出会ったことでした.幸い女性はその国際語も身に付けていたので,旅行者の日常の〈ことば〉とその国際語の間で通訳することができました.つまり,その女性は4言語かそれ以上を使いこなせたことを意味します.これは希有な才能だと思います.
対話はまだまだ続きます.通訳の方も,おひとりでは疲れてしまいます.そのために,通訳者が交替してあたりました.(1)
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もう,おわかりかも しれません.対話をしていた男性研究者は広瀬浩二郎さん (2),女性研究者は相良啓子さん (3) とおっしゃいます.おふたりとも(わたしの知る限り)ごく普通に日本で過ごしてこられました.日本語はわかりますし,話すこともできます.しかし,女性の日常お使いになる〈ことば〉は音声日本語ではありません.日本手話といいます.日本手話は日本語ではありません.文法が違います.ですから日本手話をお使いになる方は,それだけで,少なくともふたつの〈ことば〉を使いこなしていることになります.
広瀬さんは視覚に頼らずに世界を見る研究者として,このブログにも何度か登場願いました.指先の感覚が鋭いことから,自分では視覚に頼らずに世界を見る人たちのことを「蝕常者」と呼んでおられます.また「蝕常者」の学びのスタイルや学問のあり方を「手学問」と呼んでいらっしゃいます.
相良啓子さんはこのブログにご登場願うのは初めてです.相良さんは十代後半まで聴者(ちょうしゃ:聴覚に頼って世界を聞く人)でしたが,お多福風邪の後遺症で,ろう者になったということでした(ご自身で,確か,そうおっしゃいました).
この文章の出だしでは,わざとおふたりの名前や,お使いの〈ことば〉を伏せて記述を進めました.そのために,どこかの少数言語を話す(晴眼者で聴者の)おふたりの対話だと思われた方もいたでしょう.この勘違いは,半分,当たっています.どこが当たっているかというと,日常の〈ことば〉が違う異文化に属する人と人の対話だという点です.広瀬さんは視覚に頼らにずに音声言語で,つまり聴覚言語でコミュニケーションを取っておられますし,相良さんは聴覚に頼らにずに日本手話で,つまり視覚言語でコミュニケーションを取っておられます.聴覚言語と視覚言語というコミュニケーションの仕方が違うおふたりの対話を可能にするのが,ひとつはコンピュータのようなICTであり,もうひとつは人による日本手話-音声日本語の同時通訳です.(もう一度強調しておきますが,日本手話は日本語とは文法の異なる別の言語です.現在のところ日本手話に書記体系はありません.日本手話-音声日本語の同時通訳は,大変な技術なのです.)
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それにしても広瀬さんや相良さんのことを「異文化に属する」とは,ずいぶんひどい言い方だと憤慨された方がいるでしょう.同じ民族なのは明白なのに,その人たちを,まるで「異民族あつかい」するとは何事だと怒る方がいらっしゃるかもしれません.わたしは「異民族あつかい」をしているのではないのです.「異文化に属する」と言っているのです.
それなら「文化」とは何で決まるのしょうか? 習慣で決まりますか? それとも食事の調理法?
コミュニティの多くの人が共有する地域の歴史でしょうか? あるいは〈ことば〉の違いですか?
いろいろな側面があります.その中で,わたしは〈ことば〉が一番わかりやすいと思います.〈ことば〉は自分自身を表現する重要な手段のひとつだからです.今,わたしは「言葉」や「ことば」ではなく,カッコ付きのひらがなで「〈ことば〉」と表現しています.これは通常の発話言語(=聴覚言語)だけでなく,手話(=視覚言語)も言語の仲間だということを表そうとしたからです.その〈ことば〉で,それぞれが異なる存在であることを主張する.ここではそれを「文化」と表現したのです.その「文化」というものがはっきりと示すのが,目を使わずに世界を認識する広瀬さんの存在であり,耳を使わずに世界を認識する相良さんの存在だと感じるのです.このことを,もっと別の言い方をしてみましょう.それは「一人ひとりがそれぞれ異なる存在であることを主張する〈ことば〉を持つ」のですから,当然,我われも,個別の「文化」に属するのだと思います.
例えば幼い子どもは,〈ことば〉がうまく扱えません.そのような子どもも,ここでいう「文化」を持つのでしょうか? わたしは持つと言えるのではないかと思います.もちろん,通常の意味で「文化」を持つ主体はコミュニティを構成する人びとです.子どもは最初から人びとに含まれてしまいます.その人びとが〈ことば〉で独自性を主張するから「文化」なのです.しかし,ここで「子ども」と言ったのは,「子どもは〈ことば〉で自己主張はできないけれど,独自の世界観を持つに違いない」と思ったからです.子どもたちは〈ことば〉がうまく扱えない.しかし,子どもたちなりの世界の見方をしている.アイヌやピグミーや手話を日常使っているサイナーといった人びとは「無文字文化」に生きる人です (4) が,「子ども」とは「無言語文化」とでも言いたい存在に思えたのです.
考えてみれば,わたしのような失語症者や高次脳機能障がい者とまとめられる人や知的障がい者,認知症者の中にも,決して数は多いわけではないのでしょうが,高度な「無言語文化」の体現者が存在します.まだ地域を移って間もない移民や難民も同じかもしれません (5).〈ことば〉で自己は表現できない.しかし,理性で(あるいは人間としての自然なの感情で)世界を捉えている.おいしければ,「おいしい」と(〈ことば〉ではなく態度や表情で)表し,美しいものに接したら,素直に「美しい」と(〈ことば〉ではなく態度や表情で)伝える.
そのような一人ひとりの居場所は,元来は〈ことば〉のいらない美術館や音楽ホールにあるのでしょうか?
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(1) 国立民族学博物館公開シンポジウム「ユニバーサル・ミュージアム論の新展開-展示・教育から観光・まちづくりまでー」(2015年11月28日~29日)
http://www.minpaku.ac.jp/research/activity/news/rm/20151128-29
(2) 広瀬浩二郎さんのHPは
http://www.minpaku.ac.jp/research/activity/organization/staff/hirose/index
にあります。
(3) 相良啓子さんのHPは
http://www.minpaku.ac.jp/research/activity/organization/staff/sagara/index
にあります。
(4) もちろん「無文字文化」に属するからといって,「文字を使わない」などということではありません.アイヌ民族は日本語で読み書きをしますし,そればかりかアイヌ語を話せるアイヌ民族は,今となってはほとんどいないと思います.ピグミーも母語以外に,共存するバンツーや旧宗主国の音声言語を話しています.サイナーは手話を表す文字はありませんが,日本語の読み書きには,当然,不自由しません.
(5) わたしの書いた「生涯学習施設は言葉やコミュニケーションに障がいを持つ人と どう向き合うべきか : 総説」
http://www.hitohaku.jp/publication/r-bulletin/No24_04.pdf
に、高次脳機能障がい者や知的障がい者,認知症者やまだ地域を移って間もない移民な難民といった人びとが理解しやすい文章の書き方をまとめました。
三谷 雅純(みたに まさずみ)
兵庫県立大学 自然・環境科学研究所
/人と自然の博物館