ユニバーサル・ミュージアムをめざして63
ハンナ・アレントの『人間の条件』考-2
三谷 雅純(みたに まさずみ)
ハンナ・アレントの伝記
〈子ども〉という存在は「小さな大人」ではありません。〈子ども〉は、異文化に生きる、大人とは異なる存在です。わたしたちはそのことを、フランスの歴史学者フィリップ・アリエスの『〈子供〉の誕生』という本で知りました。つまり、「異文化に生きる子ども」は決して支配するべき存在ではなく、教え、導きながらも、「異文化に生きる人」として尊重する必要があるという事です。
「異文化に生きる子ども」の尊重は、よく言われる「子どもを導くことの放棄」ではありません。大人には(教師には、親や家族には、地域コミュニティを構成する大人たちには)、子どもにいつか受け継いでもらわねばならない価値観を、責任を持って示す必要があります。その責任を自覚しなければいけません。
「国民国家」は形を変えて、「福祉国家」と呼ばれるようになります。その「福祉国家」は、さらに形を変えて、今では「ポスト福祉国家段階」に入ったと言われているそうです(『難民と市民の間で』:160ページ)。このあたり、わたしは教育現場に詳しくないので、実感としてはわからないのですが、学校を「監獄」のようなものと捉(とら)えたミッシェル・フーコーの視点から、イタリアの哲学者ジョルジョ・アガンベンの言う「難民収容所」として捉(とら)える必要があるということのようです。
どういうことかというと、「監獄」に捕らえられた囚人は更正して社会に復帰することが可能だが、「難民収容所」の難民は、見捨てられ、いつかは「忘却の穴」に捕まる。そして最初からいなかったことにされる。学校は「すべてではないにしても、ある意味において、見捨てられた状況に子どもがおかれるスクールカーストに象徴されるように、アガンペンが描いたような難民収容所化していく側面がある」(『難民と市民の間で』:160ページ)。
......このように冷静に分析されると、息を呑みます。思わず言葉を失います。
それほど強いストレスにさらされたら、「異文化に生きる子ども」でなくとも、大人でさえ引きこもるには十分です。アレントが『人間の条件』を考えた時代は今とは異なりますが、わたしたちの周りを見ると、ヒトラーとナチズムに追いかけられ、亡命をし、難民として「忘却の穴」に捕まったアレントの時代と今が、それほど違うとは思えなくなります。
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アレントが『人間の条件』で試みたことは、「私たちが行っていること」を問い直すことです。そこでアレントは「私たちが行っていること」を「労働」「仕事」「活動」の三つに分けました。『人間の条件』:19ページから20ページからの引用です。少し長くなりますので、わたしが要点だと思った文章だけを引用します。
労働 laber とは、人間の肉体の生物学的過程に対応する活動力である。人間の肉体が自然の成長し、新陳代謝を行い、そして最後には朽ちてしまうこの過程は、労働によって生命過程の中で生みだされ消費される生活の必要物に拘束されている。そこで、労働の人間的条件は生命それ自体である。
仕事 work とは、人間存在の非自然性に対応する活動力である。(中略)仕事は、すべての自然環境と際立って異なる物の「人工的」世界を作り出す。(以下、省略)
活動 action とは、物あるいは事柄の介入なしに直接人と人との間で行われる唯一の活動力であり、複数性 plurality という人間の条件、すなわち、地球上に生き世界に住むのが一人の人間 man ではなく、複数の人間 men であるという事実に対応している。確かに人間の条件のすべての側面が多少とも政治に係わってはいる。しかしこの複数性こそ、全政治生活の条件であり、その必要性であるばかりか、最大の条件である。
アレントが言ったことを、わたしなりに解釈してみます。
「労働」は人間の生物学的側面に重点を置いています。つまり、息を吸ったり食物を食べたりといった、生物学的なヒトとして必ず行わなければならない行為です。なぜ、人間の生物学的側面が「労働」という言葉で表されているのか、わたしには、よくわかりませんが、いずれにせよ、命ある存在は誰でも、寿命を全(まっと)うし、そして必ず死ぬという人間の基本的な条件です。
「仕事」は自然や環境への人間の働きかけのことです。仕事の基本は手仕事から始まります。家でする作業であるか、職人の仕事であるかを問わず、何かを作り出します。作り出した品物の一部は市場(しじょう)によって「商品」となります。「商品」を公正に測るためには物差(ものさ)しが必要ですし、「商品」の抽象的な価値を定めるためには「貨幣(かへい)」が必要です。それに加えて、芸術家の「仕事」もあります。もともと芸術は、呪術や神話、「狂気」から作り出されましたが、今では「商品」として市場(しじょう)で交換されることがあります。
このような「労働」や「仕事」は、一人の人間が世界とどのように向きあうかの問題です。つまり「労働」では自然の存在として、「仕事」では人工的に作り出す「工作物」の質が問題です。そしてアレントは、これらより、人間にはもっと重要な行為があると言います。それが「活動」です。
「活動」では人と人の対話が基本になります。コミュニケーションが成立しているかどうかが大切なのです。古代ギリシャの例をひいたアレントは、とくに「政治的活動」を「活動」の中心にすえます。このことを現代風に言い直せば、「活動」とは「多くの人がいるコミュニティで社会活動に励む」といったところでしょうか? 「多くの人」とは、個性を持たない「不特定多数の人」のことではありません。一人ひとりが異なった、多様な意見を抱(いだ)いた多くの人びとのことです。多様な人びとだからこそ、対話が重要なのです。
わたしたちの周りでは、実にさまざまな異論に出くわします。そして、そのほとんどが、(少なくともわたしには)最初は理解できません。なぜ、そんなことを言うのか、実感が湧かないのです。しかし、その多様な意見をよく聞いてみると、急に実感できることがあります。よく聞くことで、その人の生きてきた時代や生活する社会の背景を知ることができるからです。また自分とは認知の仕方が異なる、例えば、ろうや盲の人であれば、具体的な認知の異なり方を知ることで、その独特の意見が実感できるようになります。多様な意見は多様な原因から生みだされます。言うならば、それは「必然」なのです。それを知ってなお無視することは愚かです。その愚かさをこそ、知るべきです。
アレントの言い方とは違いますが、彼女の言葉をわたしなりに意訳し直せば、以上のようになります。
アレントは、現代では「活動」が廃れて、人びとが対話をしなくなった。その結果「仕事」だけが残った。しかし、これは人間本来の生活ではないと考えました。人間が人間であるためには政治家のように忙しいだけではだめで、哲学者のような静かな思考が必要だと言うのです。確かに政治家をはじめとする実務家には余裕がありません。もう少し哲学的な思索が必要です。ただし、静かに考えているだけでは社会が廻らないというのも事実です。現代という時代に生きる人びとが哲学者(や黙考する人びと)を軽く扱いすぎていることは恥じるべきですが、同時に実務家の存在も重要です。その時、誰も彼もが物事を考えず、『イェルサレムのアイヒマン』のように真面目に、淡たんと「仕事」をしていたとして、それが必ずしも人びとに幸福をもたらさない。そのことも、心して知っておくべきです。
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科学者として人間の行動に興味があるわたしの立ち場で、アレントの言ったことを、もう少し突っ込んで判断してみます。まず、アレントが「労働」と呼んだ行為についてです。人も地球の上で動物から進化したのですから、ヒトの側面を持つことは当然です。人間は他者の心はわからない。ただ類推するしかない。我われに、いわゆる「超能力」などはないのです。その時、たまたま類推のじょうずな人が「空気の読める人」であり、苦手な人が「空気が読めない人」と見なされる。しかし、本当は誰も他者の心は読めないのです。その意味で、人は誰でも五十歩百歩です。「空気の読める人」の類推した「他者の心」だと信じるものは、実際に他者が思っていることとは異なるかもしれないからです。
わたしにとっては「仕事」と「活動」が、なぜアレントのように二分されるのか、本当のところはわからないままでした。「仕事」とは社会で行われる基本的な行為です。社会で行われるのですから、必然的に、自分以外の他者と交渉を持たなければなりません。そこでは必ず、コミュニケーションが付いて回ります。昔の職人は寡黙(かもく)でしたが、うまくはないにせよ、コミュニケーションなしに「仕事」が成立したとは思えません。先ほど現代的な「活動」を「多くの人がいるコミュニティで社会活動に励む」ことと言い直してみましたが、現代の市場経済社会では、「仕事」には必ずお金が絡むだけで、「市場経済社会」という足かせを取っ払ってみれば、「仕事」も「社会活動」も、人が人とコミュニケートすることには、何も変わりはありません。
これは「アレントへの反論」ではなく「多様な見方のひとつ」です。
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アレントの『人間の条件』は、ナチズムの時代を生きたユダヤ人の「歴史に裏打ちされた哲学」という意味で、共感できる点が数多くありました。しかし、古代ギリシャの人びとの考え方や、ヨーロッパの歴史感覚にはなじめないものも感じました。
その上で、わたしが疑問に思ったのは、次のふたつです。
ひとつは、アレントは古代ギリシャの自由市民の考え方を理想において「公的領域」(≒「公共空間」)を考えました。では、そこに欠けている奴隷の考え方――「奴隷」という立ち場におかれた人びとの考え方、感じ方は『人間の条件』のどこにも書いてありませんでした――は考慮しなくてよいのかということです。
これは、わたしでなくても、現在の価値観を身に付けた常識のある人なら、けっして「考慮しなくてよい」とは言いません。アレントも常識人です。ただ「哲学」という「言葉にこだわる学問」を研(みが)いた人です。「奴隷の考え方が明確に理解できる記録がないから、言及しなかった」ということかもしれません。しかし、わたしには疑問に思えました。
ふたつ目はアレントや『難民と市民の間で』を書いた小玉重夫さんやフーコーが、あたかも、かつての帝国主義国家が人格を持っているかのように国民の「私的領域」、つまり「プライベートな事柄」に踏み込み、「産めよ、増やせよ」と軍国主義をあおったと読める記述があったことです。「国民」はまだしも、抽象的概念である「国家」は物事を判断できません。「国家」に人格はないのです。だとすれば、「国家」に代わって「産めよ、増やせよ」とあおった誰かがいるはずです。それは誰だったのでしょうか?
王さまでしょうか? それとも、その時代の政治や軍の実権を握っていた誰かでしょうか? このことを考えていて、わたしは、ある考えに思い至りました。それは、またしても「同調圧力」でした。人格を持った個人は、王さまや実権を握っていた誰かも含めて、悪人ではなかったのかもしれない。しかし、その人たちが集団となり、個人の感覚や感情ではなく、考える行為を放棄したときに生まれたのが「同調圧力」だったとすればどうでしょうか。その「同調圧力」で、「産めよ、増やせよ」とあおったのかもしれない。『イェルサレムのアイヒマン』の中で、アレントはアイヒマンのことを、疑問も持たず、ただ与えられた職務をこなした「凡庸な役人」と呼んでいたことを思い出しました。