ユニバーサル・ミュージアムをめざして38
視覚に頼らない世界を
テレビはどこまで伝えられるのか
三谷 雅純(みたに まさずみ)
頭書増補訓蒙図彙 巻の4 1695年=元禄八年
琵琶法師です。「瞽者(こしゃ)」とは目の見えない人のことであり、文中には「盲目」「盲人」と書かれています。また、琵琶法師と呼ばれる人がいて、昔は琵琶を奏でて平家のことを語っていたそうです。その後、琴や「三線(さんしん)」を扱い「座頭(ざとう)」とも呼ばれたそうです。最後の部分は読めませんでしたが、「検枝勾富四分」という字が見えます。絵では月夜に琵琶を演奏する琵琶法師が描かれています。
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テレビのドキュメンタリー「世界を触れ!」 (1) のDVDを送っていただきました。みんぱくの広瀬浩二朗さんの世界を描いた作品です。
放送は夜の遅い時間帯でしたから、わたしは眠すぎて、起きていられませんでした。関西地区に限定した放送でしたが、幸い、わたしの住む地域では視聴できます。それで予約録画をしようと思っていました。ところが、たまたま、最近テレビを買い換え、その時、うっかりとDVDが録画できなくなったのです。何と! どうしようかと思っていたら、友人が録画してあげるよと言ってくれました。それで見る事ができたわけです。
ドキュメンタリーは、かつて、テレビ番組の花形だったと思います。ところが、いつの間にかローカル番組となり、深夜枠の放送になっていました。それでもドキュメンタリー番組は装いを変え、今ではクイズ番組になったり、場合によってはコマーシャルになったりして何とか生き延びています。しかし、今に生きる、いろいろな人の生き方や、自然のありさまを記録するという意味では、元来、テレビ向けの形式だったはずです。
ドキュメンタリーでは実在する人びとの生活をカメラで切り取るのですから、作品を創り出すまで、さまざまに大変な事があるでしょう。プライバシーは守らなければいけません。守らなかったら、二度と出てくれません。その一方で、同時に多くの視聴者の興味をひかなければなりません。興味をひかない作品は、わざわざ作る意味がありません。
一方で作り手――ディレクター、プロデゥーサー、カメラマン、編集をする人、ともかく大勢の、その人にしかない技術や感性を持った専門家――がいて、受け手である視聴者がいる。その作り手・受け手の相互作用で作品は産み出されるのだと思います。作品によっては送り手の意図を超えて、受け手とともに息をしはじめる。それは、今も昔も変わらないプロセスのはずです。
送っていただいた「世界を触れ!」は、みんぱく(国立民族学博物館)の文化人類学者、広瀬浩二郎さんの生きている世界を描こうとしています。このエッセイにも何度か登場願いましたが、広瀬さんは全盲のフィールドワーカーです。広瀬さんの生きる世界は、世の中の多くの人とは異なります。それは視覚に頼らない世界です。匂いを嗅ぐ。味わう。手で触る。ことに指先の感覚は大切です。なぜなら、広瀬さんにとって指先は、多くの人の目に当たるからです。多くの人が目で見て情報を得るように、指先で触っていろいろな情報を得るのです。そこには視覚に頼る世界とは質の異なる認識世界があり、イメージの広がりがあります。
指先で得る情報とはどのようなものなのでしょうか? 視覚と聴覚しか使えないドキュメンタリーで、このことを表現するのは、難しかったと思います。ディレクターという職業は、世の中には多様な人がいるという事をよく理解することが必要です。また、よく理解しているから、その様(さま)をドキュメントして残そうとします。しかし、どうしても感覚的にわからない事は、あるものです。わたしは、たまたま晴眼者ですから、「広瀬さんのイメージしている心象世界は、どのようなものであるのか正確にはわからない」というしかありません。
実はこの作品、放映された段階では、まだ完成していないのではないかと思いました。受け手に浸透してはじめて、形のあるものになる。そういう事ではないかと思っているのです。
受け手のひとりは、広瀬さんご自身です。主人公であり、取材対象でもある広瀬さんは、つい送り手のひとりだと思われるでしょうが、取材を終えると、完成までの時間、ドキュメンタリーは主人公の思いを超えてひとり歩きをはじめます。そのあいだは、多くの専門家によって、素材の映像や音声がドキュメンタリーに「創られる」のです。映像や音の表現を探り、効果音を確かめます。ナレーターはいちばん良い読み方を探します。そして編集が終わります。そこではじめて、主人公は自分の映った姿を確認できるのです。広瀬さんの場合は、奥さんがどのような映像であるかを説明したのかも知れません。やがて納得して――最初は誰でも、自分の映し出された映像には、とまどうものです――いよいよ放送となります。
その次の受け手は、多様な不特定多数の視聴者です。不特定多数の視聴者ですが、見た段階でさまざまで感想を持ち、興味を持った人、なかでも障がい者やそのご家族はさまざまに解釈を広げます。送り手が思いも掛けなかった解釈が生まれる事もよくあると思います。そこでやっと、作品は本当に完成するのです。このプロセスは、「世界を触れ!」のような、主人公が多数者とは心象世界の明らかに異なるドキュメンタリー作品では、とても大切だと思います。
☆ ☆
「世界を触れ!」はこれまで『触る門には福来たる 座頭市流フィールドワーカーが行く!』 (2) や『さわる文化への招待』 (3) などのご著書で紹介されたことに沿った作りで、大体はこのようなドキュメンタリーになるだろうと予想できるものでした。具体的には、晴眼者にはわかりにくい視覚障がい者にとっての白杖(はくじょう)の役割とか、音の反響で構造物のある/なしを見分ける方法、風の吹き抜ける感触とそこから分かる空間的広がり、傘をたたく雨音で周りのようすがわからなくなること、美術品を触ること、あるいはうっかり触れない絵画を凸凹の触図で表わし、絵そのものはボランティアが説明するといった鑑賞技法、などなどです――説明の技量にもよるのでしょうが、人が説明をすると、かなりわかるものだと伺いました。
一方、わたしは広瀬さんの住むもうひとつの世界を、どう表現するのだろうかということに興味がありました。視聴者の多くは晴眼者が占めているはずです。その中で、異なる世界をいかに表現するのだろうかという興味です。例えば、今、インターネットでも話題になっている「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」は、晴眼者が暗闇の中で何かを触ってみた時の驚きを楽しみ、触るという「新しい感覚」があったということを再認識するというセミナーですが、ドキュメンタリーでは画面を真っ暗にして、視聴者に広瀬さんの住む世界を疑似体験させました。また、昔、全盲の青年が琵琶法師になろうと修行をした(当然、光は要らない)真っ暗な洞窟の中と洞窟を抜けた光の世界を、やはり画面を暗転させ、やがて元に戻すことによって対比させていました。その修行僧にも見える役を全盲の広瀬さんがやっているという二重の謎かけもあったのではないでしょうか。広瀬さんの世界を擬似的に表すことに成功していたと思います。
ドキュメンタリーが多くの視聴者に支持された時代には、映像の暗転は、やってはいけないタブーだったと聞いています。受像器に何も映らないと機械の故障ではないかと疑う人が出るかもしれませんし、送り手の意図が理解できないと、受け手は視聴を止めてしまうからです。しかし、視覚障がい者の生きる世界を表すには、目を閉じて、耳を澄ますという作業が、ぜひとも必要でした。その意味で、今回の作品では「音」をどう録音するかが、いつもにもまして大切だったはずです。
ただ疑問に思ったことがあります。点字を表すのに、ボツボツをただ写すことでしか表現できなかったのでしょうか? 先ほども言ったように、視覚障がい者の指先は、晴眼者の目のようなものなのです。その視覚障がい者と晴眼者の多様性は、ボツボツを写す以外にも、もっと視聴覚的な表現があったのではないか? この疑問です。
このあたりは表現の試行、というよりも冒険でしょう。しかし、今までなかったことです。やってみる価値があると思いました。タブーはあったとしても、それは「視聴者は健常者に違いないという思い込み」で成り立つ偽物のタブーです。現にわたしは健常者ではありません。それにしても、暗転させた画面をじょじょに元に戻す場面では、いったい何が言いたかったのでしょうか? 急に明るくすると、とまどう人が出るからでしょうか? これもわからなかった事のひとつでした。
広瀬さんのドキュメントなのですから、視覚障がい者が主人公になるのは、あたりまえです。でも、その先には、さらに多様な人の世界が広がっているのだと思い当たります。例えば、ろう者は視覚言語の世界に生きていますし、失語症者は「発話のない」内言語(ない・げんご)の世界に生きています。このあたり、どこまでドキュメンタリーで表現できるでしょう。それとも、視聴覚を前提にしたテレビという媒体では、もう無理なのでしょうか?
落ち着いた、よいドキュメンタリーでした。ディレクターの柴谷真理子さんに、わたしは個人的な面識はありませんが、インターネットで調べると、ハンセン病者 (4) や犯罪被害者のご家族 (5) について質の高いドキュメンタリー作品を発表していらっしゃいました。これからは、どのような作品をお作りになるのでしょう。期待しています。
☆ ☆
話題が変わります。
ユニバーサル・ミュージアムでよく話題になるのが、視覚障がいと博物館の展示の問題です。視覚障がい者は展示を見ません。その代わり触ります。最近の生涯学習施設には、多様な障がい者が学びやすく工夫した施設もありますが、歴史系博物館や美術館で「展示物に触れる」というところは今でも少ないし、おまけに展示品は大抵、ガラスに囲われています――目を使わない人にとって、ガラスで囲った展示物とは、壁に覆(おお)われた見えない展示物(らしきもの)なのです。
それでも、少しずつ、視覚障がい者の事を考えた展示を工夫するようになってきました。それには、みんぱく(梅棹忠夫さんや広瀬浩二郎さんとほかの皆さん)とともに、神奈川県立生命の星・地球博物館(奥野花代子さんや濱田隆士さん、広谷浩子さんとほかの皆さん)の果たした役割が大きかいと思います。
もともとは、視覚障がい者のための特別支援学校の影響が強かったのだと思います。きっと生命の星・地球博やみんぱくにも特別支援学校の影響があったのでしょう。でもそれは、どのような影響だったのでしょうか?
ドキュメンタリーの中で、広瀬さんはご自身の事を少数民族に例えておられました。勤めているのが民族学博物館なのですから、当然と言えば当然です。わたしにも、よくわかる例えです。現にわたし自身、自分は少数民族だと思っています。わたしの感性は、多数者とは明らかに異なります。それに人は誰でも、理由があってはじめて考え続けられるものなのです。ですから、広瀬さんが視覚障がい者の立場を主張されることは、よく理解できるのです。
しかし、ユニバーサル・ミュージアムとは、本来、視覚障がい者を含めた多様な人の期待に応える必要があるものです。その事は、広瀬さんご自身のまとめた本:『さわって楽しむ博物館――ユニバーサル・ミュージアムの可能性』 (6) にも、少し触れてありました。しかし、この目で見直してみた時、広瀬さんの主張からは、視覚障がい者以外の人の姿が見えてこないのです。それは、なぜなのでしょうか? 今まで、思い出した時にはいつも、この疑問を聞いてみました。また今回のドキュメンタリーでも、何かおっしゃっていないかと探してみました。しかし、わたしにわかる回答は、残念ながらありませんでした。
機会があったら、ぜひ、わたしにもわかるように説明して下さい。
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(1) ザ・ドキュメント「世界を触れ! -見える人にこそ伝えたいー」(関西テレビ放送、2013.9.14 OA)
http://www.ktv.jp/document/index.html
(2) 『触る門には福来たる 座頭市流フィールドワーカーが行く!』(岩波書店、2004)は、もう絶版のようです。古書店で手に入ります。「ノーマライゼーション 障害者の福祉」2004年11月号に望月珠美さんの書評がありました。
http://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/prdl/jsrd/norma/n280/n280021.html
(3) 『さわる文化への招待』(世界思想社、2009)
http://www.sekaishisosha.co.jp/cgi-bin/search.cgi?mode=display&code=1411
(4) 柴谷真理子さんのドキュメント作品:「望郷の島から ハンセン病と家族の絆」
http://www.ktv.jp/ktv/info/shingi/101111.html
(5) 柴谷真理子さんのドキュメント作品:「罪の意味―少年A仮退院と被害者家族の7年―」
http://www.fujitv.co.jp/b_hp/fnsaward/13th/05-013.html
(6) 『さわって楽しむ博物館――ユニバーサル・ミュージアムの可能性』(広瀬浩二郎 編著、青弓社、2012)
http://www.seikyusha.co.jp/wp/books/isbn978-4-7872-0048-8
なおユニバーサル・ミュージアムをめざして11に「 『さわって楽しむ博物館』を読んでみました」という回があります。
http://hitohaku.jp/blog/2012/07/post_1576/
三谷 雅純(みたに まさずみ)
兵庫県立大学 自然・環境科学研究所
/人と自然の博物館