ユニバーサル・ミュージアムをめざして29
博物館ファンは認知症にならない?-2
三谷 雅純(みたに まさずみ)
認知症の予防には知的活動がよいそうです。博物館や美術館の生涯学習プログラムなら、学ぶ仲間ができて続けやすくなります。それでも、人によってはもの足りません。なぜかというと受け身だからです。受け身で知的活動をするよりも、もっと能動的になって、自分から何かをするというのが選択肢のひとつです。博物館や美術館のボランティア・スタッフは能動的な活動のひとつでしょう。
「博物館ファンは認知症にならない?-1」では、このように書きました。すると、さっそく感想を書いて、送って下さった方がいらっしゃいます。次のような感想です。文章を損ねないように一部を書き換え、また割愛させていただいたところがあります。
さて、「ユニバーサル・ミュージアム:博物館ファンは認知症にならない?-1」について、感想を一筆。
受講するだけではなく、何らかの能動的活動をした方が良いと言う事、おっしゃる通りだと思います。博物館では色々なボランティアをしておられる方を見掛けます。ただ、私にとっては交通費が高いです。ボランティアをすれば、今より再々行く事になりますので、交通費を思えば、一寸やりかねます。
まだ現役で働いていた頃は、色々とやっておりました。ボランティアをすると、結構費用の負担があるものです。会社勤めの頃は、その負担もできました。退職して年金暮らしになってみると、結構出費するのは無理だと思うようになりました。それでボランティア活動を整理し、一つだけ残している現状です。
「ひとはく」は三田(さんだ)にあります。阪神地域からは遠いので、都市部や姫路、淡路にお住まいの方には交通費がかかります。その分、丹波や篠山、但馬にお住まいの方は来やすいかもしれません。ただ、三田(さんだ)の方と共に、人口密度が高いところの方が、よくいらっしゃるのは事実です。そんな方にボランティア活動を無理を勧めていると誤解されたのでしたら、申し訳ありませんでした。そうではありません。市民団体や子ども会、老人会、公民館なら身近にもあるはずです。そんなところで、何か自分から発案してやる。そんな活動が見つかれば、それにこした事はないのです。感想を書いて下さった方も、「ボランティア活動を整理し、一つだけ残して」、それに力を入れておられるのですから、それで十分です。付け足す事は何もありません。
感想をいただき、本当にありがとうございます。こうする事で、一方的に書くだけ・読むだけではなく、双方向のコミュニケーションが成立していますよね。
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さて、
今の方もおっしゃいましたが、博物館や美術館のボランティア・スタッフというと、ボランティア側がが一方的に負担を背負ってしまいがちです。しかし、そんな活動には無理があります。無理がある活動は、とても勧められません。それを乗り越えるうまい方法はないものでしょうか。
視覚障がい者の広瀬浩二郎さんは、アメリカのスミソニアン博物館という有名な博物館群・教育研究複合体を訪れた時の事を書いています (2) 。広瀬さんはスミソニアン博物館の内、アメリカ歴史博物館やホロコースト博物館、ハーシュホーン・ミュージアムという現代美術を展示している美術館を見学したのですが、そこでは視覚障がい者に対応できるおじさんやおばさんが案内をしてくれました。おじさん・おばさんの多くは、定年後の自らの楽しみのために、ボランティアをしています。一応、視覚障がい者に対応できる訓練は受けているのですが、けっしてマニュアルに従ってというのではなく、視覚障がい者に対応する基本は押さえていても、大部分はそれぞれの個性でやっているのです。広瀬さんによれば、個性豊かなおじさん・おばさんとの「珍道中」だったそうです。
スミソニアン博物館が障がい者サービスに取り組むようになったのは最近の事だそうです。アメリカでは、1990年に「アメリカ障害者法」ができましたが、この法律は、障がい者が公共施設を利用する権利を広く認めています。ですから、スミソニアン博物館にはアクセシビリティ・コーディネーターと呼ばれる障がい者サービスを担当する職員がちゃんといて、各障がい当事者の要望を聞き、可能なかぎり要望に添うように手配してくれるのだそうです。そして広瀬さんが行った時には、このアクセシビリティ・コーディネーターは車イスを使う身体障がい者でした――障がい者サービスを担当する職員が障がい当事者である事は、とても大切です。なぜなら、サービスを受けるべき障がい者の要求を、我が事として理解できるからです。理解のない人が形だけ真似してみても、本当のサービスにはなりません。
そのようなアクセシビリティ・コーディネーターがお世話をして、おじさんとおばさんが「個性」豊かに障がい者と繋(つな)がるボランティアが成立している。このような繋(つな)がりが、「ボランティア」という制度ではなく、どこの街角やコミュニティーにもある、まるで空気のように「確かに存在するが、誰も意識しないもの」になればいいのにと、つい思ってしまいます。
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もちろん博物館や美術館は、もともと新しい知識や造形の美しさ、そして、そのようなものがもたらす精神の深みといったものを展示する場所ですから、それを的確に伝える技量が必要です。その事を考えると、プロフェッショナルがやるかボランティアがやるかは別にして、解説は人が人に行うのが基本だと思います。現実に生きている社会のあり方と同じなのです。
おじさんやおばさんは人生経験が豊かです。豊かな分だけ、他人に対しても共感できるのです。〈共感〉とは、身も蓋もない言い方をしてしまえば、他人の不便さ、不自由さへの理解です。その理解の深さです。人間の不便さや不自由さは千差万別ですから、それを機械で補完するのは、きわめて難しい――それもまた必要なことではあるのですが。共感する事は、成熟した人間の証(あかし)です。ですから、ぜひとも、成熟したおじさんやおばさんに助けていただきたい。これが、わたしの思い付いたアイデアです。
わたしが勧めるのは無理のない範囲での事です。皆が皆、「博物館のボランティアになって活躍しよう」などと言ってはいるのではありません。ご近所に活動の場があるのなら、それを活かせばいいのです。それから認知症であっても共感する事は、もちろんできます。成熟の度合いや懐(ふところ)の深さは、認知症でなかった時と何も変わりません。本質的には、人柄は変わらないのだと信じています。念のため。
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(2) 広瀬浩二郎(ひろせ こうじろう)『触る門には福来たる 座頭市流フィールドワーカーが行く!』(岩波書店、2004年6月発行)
同じ話題は、広瀬さんのブログ「テリヤキ通信」の中の「『ユニバーサル・ミュージアム』って何だろう(1)」にもあります。
http://www.minpaku.ac.jp/museum/showcase/fieldnews/staffletter/hirose/teriyaki03
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オリジナルのブログでは、佐村河内 守(さむらごうち まもる)さんの話題を挙げてありましたが、佐村河内さんの ろう の症状や作曲家としての言動には虚偽が混じっていることが明らかになりました。佐村河内さんに関する文章は削除しました。
三谷 雅純(みたに まさずみ)
兵庫県立大学 自然・環境科学研究所
/人と自然の博物館