ユニバーサル・ミュージアムをめざして24
『障害児教育を考える』の書評
三谷 雅純(みたに まさずみ)
インクルーシブ教育に関連して、『障害児教育を考える』(茂木俊彦 著、岩波新書 1110) (1) という本を読んでみました。
このブログを通じて、わたしは「ユニバーサル・ミュージアムにはどういう仕組みがよいだろう」という事を探ってきました。その中で「ユニバーサル・ミュージアム」は「ユニバーサル社会」の考え方に近いのだと気付きました。また教育については、「サラマンカ宣言」を再認識しました。サラマンカ宣言は、ユニバーサル社会の理想と多くの点で重なるインクルーシブ教育やインクルーシブ社会の重要さを訴えています。インクルーシブ社会では、障がい者を始め、さまざまな立場の人が生きやすい世の中を作るのは「社会の義務」だと考えます。インクルーシブ教育でも、さまざまな立場の人が教育を受けやすい環境を提供することが「社会の義務」だと考えるのです。茂木俊彦さんは教育心理学や障害児心理学の立場から、インクルーシブ教育について考えておられます。そこで茂木さんの『障害児教育を考える』を読んでみることにしました。
「ユニバーサル」だの「インクルーシブ」だのと、カタカナ言葉ばかりですいません。「ユニバーサル」は「全(すべ)ての」という意味で使っています。ここでは「みんな(皆)のための」という意味になります。「インクルーシブ」というのは、あえて訳せば「包摂(ほうせつ)」ですが、「包摂(ほうせつ)」というなじみのない、難しい言葉では、かえって分かりにくいので、カタカナのまま使うことにしました。
茂木俊彦さんはわたしより十歳以上年上の教育者・研究者で、長く東京都立大学にお勤めになりました。お辞めになる前は総長も務めていらっしゃいます。今は桜美林大学にお勤めです。茂木さんは長い経験をお持ちですから、日本の学校制度の変化も身をもって理解され、その時どきに本にまとめてこられました。ですから、茂木さんの語る学校教育のあり方は知識が正確で、子どもや現場の教員を見る目も、とても温かいと感じました。
わたしは『障害児教育を考える』で初めて知ったのですが、「障害児の学習と発達の権利を保障する教育の創造に向かう動き」が活発化したのは1960年代だったそうです。1960年代といえば今から50年ほども前の話です。当時から、すでに障がいの重い子どもや複数の障がいを持った子どもでも義務教育を受ける権利があると認識されていたわけです(序章 変わってきた障害者の見方: pp. 10-11)(第2章 障害児とどう向き合うか: pp. 91-92)。
わたしの義父はろう者でした。赤ん坊の時に発熱して、ろうになったのです。就学年齢になるとお役所から、望むなら就学を免除するが、学校に行きたいなら、家の近所にろう学校(当時はろうあ学校)はないので、遠くまで通うようにと通知が来ます。家族はどうするか迷ったのですが、結局、遠いろう学校へ通うことになりました。これが義父の人生を決め、学校で技術を学んで表具師になりました。義父の場合、表具師になるべきタイミングというものがあったのでしょうが、地域には表具師以外にもさまざまな職業があったはずです。そのチャンスが見える形で示されていたとしたら、どうだったでしょうか? やはり表具師になっていたかもしれず、ならなかったかもしれません。いずれにせよ、「ろう者には、この仕事が向いている」という暗黙の決まりがあったのだと思います。
通いやすい身近な学校で、ろう者のための教育が受けられたら、義父の自由度は格段に高まったことだと思います。もちろん自分自身を振り返るという意味では、身近にろうの友だちがいる事も大切です。同時に、自分の将来を他人に決めてもらうのではなく、自分で決める自由さも大切だと思います。身近な地域の普通学校に、近所のろうの友達とともに通っていれば、いろいろなことが可能だったのではないでしょうか。
この日本の教育者が気づいた事は、国を超えて認識されていました。そのひとつは「子どもの権利条約」 (2) (1989,第44回国連総会決議.日本は1994年批准)です。「子どもの権利条約」では、子ども自身や保護者の「人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治的意見やその他の意見、国民的、種族的若しくは社会的出身、財産、心身障害、出生又は他の地位にかかわらず、いかなる差別もなしにこの条約に定める権利を尊重し、及び確保する」とされています。「障害者権利条約」 (3) (2006年,国連総会で採択,日本は2013年2月現在、批准していない)というのもあります。この条約はインクルーシブな社会を作り上げて、妨げられがちであった障がい者の権利を、障がいのない人と同じように保障しようという条例です。
「障害者権利条約」は批准していませんが、日本では2007年には特別支援教育を正式に実施しています。その時、文部科学省は「特別支援教育の推進について」という通知 (4) を、初等中等教育長名で出しています。この通知の最初に、特別支援教育では、たとえば「視覚障がい」とか「知的障がい」といった子どもを、あるいは人を、マスでくくる教育ではなく、個人個人に合ったきめのこまかさな教育を行い、それまでは教育的ニーズがあるとは認めてこなかった発達障がいも含めて、インクルーシブな地域社会を創り出すと述べています。社会的に弱い人の立場に沿った通知だったと思います。茂木さんも、地域を大切にする事や障がい者のライフ・ステージをつなぐ支援体制を探ったことを大いに評価しています。
しかし、特別支援教育には充分な財源が付きませんでした。今も付いていないはずです。これは文部科学省の「特別支援教育の推進について」の通知の精神とは、ちぐはぐです。「きめこまかく、子どもたちの示す教育的ニーズに対応する」ために、これまでより多くの教員が必要なことは、最初から分かりきっています。いくらがんばっても、ひとりの教員で対応する教育的ニーズには限界があるからです。考えてみて下さい。少し難聴ぎみの○子ちゃんと、時には自閉症に見える●夫くんが同じ教室で机を並べる時、先生は聴覚障がいや発達障がいの一般的な知識は勉強すればわかるのですが、ひとりひとりが違う、○子ちゃんと●夫くんというふたりの子どもを同時に世話しなければいけなくなったら、困ってしまうと思います。そんな時は、ぜひとも難聴と自閉症のそれぞれに経験の深い人が、いっしょに教えるというのが理想なのです。書物でわかる知識は、代表的なことしか書いていません。でも実際には、必ずしも経験の豊富でない、人数も少ない教員で、子どもたちをどうにかこうにか回しているというのが実情だそうです。これだと「インクルーシブ教育」の理念は実現できません。そればかりではなく、「教育的ニーズ」の必要なさまざまな立場の子どもがひとつの教室に集まるのですから、先生の責任は背負える限界を超えて重いものになるだけでしょう。う~ん。
わたし(三谷)は『障害児教育を考える』を読んでいて、まるで文部科学省というひとつの役所の中に、まったく違う考え方、感じ方の人がいるかのように感じてしまいました。考えすぎでしょうか?
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茂木さんはこの本の中で、「特に知的発達に困難を抱える障害児は、身の回りのことが理解でき、処理できればよい、という発想を打ち破ることである。彼らにも、真実を伝え、文化と自然に親しみながら育つのを援助する教育を創るということである」と述べていました(第4章 学習と発達の保障をめざして、p. 186)。わたし(三谷)はこれを読んだ時、なぜ「真実を伝え、文化と自然に親しみながら育つ」ことが大切なのか、もうひとつピンと来ませんでした。知的障がいのある子どもは抽象的なことを考えるのが苦手です。苦手なことをムリに教えても、子どもが混乱するだけのような気がしたのです。
この疑問には、内田 樹さんの『街場の文体論』 (5) という別の本を読んでいて、ハッと気が付くことがありました。内田さんは(フランス、あるいはヨーロッパのような)社会階層が強固な社会では、人は、偶然生まれ落ちた社会階層にふさわしい言葉遣いを強要されるとおっしゃるのです。茂木さんの『障害児教育を考える』にそんなことが書いてあるわけではありませんが、「特に知的発達に困難を抱える障害児は、身の回りのことが理解でき、処理できればよい」ような社会階層に属していると、「真実を伝え、文化と自然に親しみながら育つ」ような言葉遣い(や、立ち居振る舞い)は禁じられている。茂木さんは、その古めかしい社会のあり方を打ち破るために「真実を伝え、文化と自然に親しみながら育つ」ことは是が非でも必要であった。これはそういうことなのではなかろうかと思ってしまいました。
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茂木さんは、現在の「障害者自立支援法」 (6) を稀代の悪法だとおっしゃいます(終章 障害者の自立を励ます社会へ)。わたしも同じ意見です。脳こうそくの後遺症があった多田富雄さん (7) という免疫学の偉い先生が、この法律のために脳こうそくの後遺症を持つ人は充分なリハビリが受けられなくなった。そのため、多くの当事者は廃用症候群で寝たきりの生活を強いられているとおっしゃっていました。そして福祉サービスを受けるためには、障がいの重い・軽いに関わりなく、収入があっても、なくても、一定の割合で、負担金を支払うのです。現実にはお金を負担できないために、いろいろな支援サービスをあきらめている方が多くいらっしゃると聞きます。
障がいによって生まれるハンディキャップは、けがや病気のせいというより社会的なものです。国や自治体が行う施策とサービスによってはじめて、障がい者は健常者と同じスタートラインに立てるのです。ですから、茂木さんは、障がい者が「得る利益に応じてお金を払う」という考え方が、そもそも成立しないとおっしゃいます。そして障がいの軽い、たとえば軽い知的障がいや発達障がいの子どもが作業に必要な算数を学んだり、支持されたことを間違わずに理解するように国語を学んでいるともおっしゃっています。これではロボットのような働き手は作れるでしょうが、人間の心をみがくことはできません。
本当にインクルージブな学校やインクルージブな社会を創っていこうとすると、日本社会が大切に守ってきた価値観は変えなければならないことに気が付きます。つまり、健康な男性だけで社会が成り立っていると誤解して作った価値観は、実際のところ健康でもなければ、男性でもない人が多いのですから、さまざまな人が、いっしょになって、支えていける社会を目指さなければいけません。
それにしても、「特殊教育」という言葉のおかしさを意識した教員によって「障害児教育」という言葉が用いられたそうですが、こう呼ぶようになった1960年代からは、すでに半世紀の時間が流れています。障がい者ひとりひとりにとっては今日(きょう)、明日(あす)にでも解決してほしい問題なのに、あまりにも時間がかかりすぎです。しかし、「障害児教育」という運動には人びとの意識の改革が必要であり、財政の組みかえが必要です。民主的に成し遂げるには呆れる程の長い時間が必要な課題なのです。先に書いた、文部科学省(旧文部省)の複雑な対応に見えることも、その時どきによって変わった人びとの意見の反映なのかもしれません。そうだとすれば、日本社会そのもの、民意そのものが揺れ動いていることになります。
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(1) 『障害児教育を考える』(茂木俊彦 著、岩波新書 1110)
http://www.iwanami.co.jp/hensyu/sin/sin_kkn/kkn0712/sin_k392.html
(2) 「子どもの権利条約」は、unicefのページがわかりやすかったです。
http://www.unicef.or.jp/crc/about/index.html
(3) 「障害者権利条約」は、障害保健福祉研究情報システム(DINF)に、いろいろな関連情報とともに載っていました。
http://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/rights/right.html
(4) 文部科学省「特別支援教育の推進について(通知)」
http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/nc/07050101.htm
(5) 内田 樹さんの『街場の文体論』には、ロラン・バルトの言ったエクリチュールという概念が、ヨーロッパ社会に根付いた旧弊を暴こうとしたとあります。
http://www.mishimasha.com/books/machiba4.htm
(6) 障害者自立支援法
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/H17/H17HO123.html
(7) NHKスペシャル「脳梗塞(こうそく)からの"再生" ~免疫学者・多田富雄の闘い~」(2005年12月4日(日) 午後9時~9時52分 総合テレビ)
http://www.nhk.or.jp/special/onair/051204.html
三谷 雅純(みたに まさずみ)
兵庫県立大学 自然・環境科学研究所
/人と自然の博物館