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新室長所感

−等身大の生物学と環境問題−

伊谷 純一郎



 自然系博物館設立準備室長の辞令をいただいて前室長の中根課長から引き継いだのは六月一日、原稿を書き始めた現在はまだ二週間を経たにすぎない。構想段階から今日までの多くの方々のご苦労のあとを頭に入れ、計画の現状と将来の見通しを把握するのが精一杯で、原稿依頼に応じる段階ではないのだが、研究体制を基本テーマにしてということであったので、これは逃げるわけにはいかない。室長をお引受けした経緯を延べ、いくつか所感を述べさせていただくことにしたい。
 私は京都大学退官を機に、それまでの生活のペースを改めたいと考えていた。アフリカでの調査と国内での研究体制づくりとの反復で、自分自身の十分な時間をもつことができなかったからである。神戸学院大学に奉職することは早くから決まっていたのだが、その上にその博物館のお話が出てきたのは、退官直前のことであった。こうして、はかない夢とは訣別することになってしまった。
 実は私の判断は自らを疑うほど早かったのだが、その理由を手短に述べておきたい。
 三十年余り前に、私は今西錦司先生のお伴をして欧米の博物館を歴訪したことがある。その旅は私にとって大きな衝撃だった。それは、ナチュラル・ヒストリーの伝統に育まれた各博物館の膨大な資料の蓄積を目のあたりにし、わが国にはそれがないのだということ、つまり、わが国の生物学はそういう基礎をもたないのだという認識を迫られたからである。私はそれに代わるものとして、野外研究に徹することを信条とした。日本の霊長類学と生態人類学を、私は野外調査による体験の集積の上に築こうとしたのである。
 優れた博物館をもたなかったわが国の生物学の戦後の歩みは、私が予測した通りのものとなった。生命の本質への飽くことのない追求は、古典的な生物学を圧迫し、多くの大学の生物学教室を大きく変貌させた。マイクロ・バイオロジーの飛躍的な発展は世界的な動向であって、私はその生物学史上の意義に批判を投げかけようとしているのではない。しかし、等身大の生物学の尊厳を保つ場を喪失してしまったわが国では、古典的生物学はもはや帰るべき家郷をもたないのである。
 博物館の研究者の主体は、マイクロ・バイオロジストではない。自然系博物館が質量ともに従来の博物館を越える研究者を予定していると知ったとき、私の心は動いた。それは、わが国の大学から姿を消そうとしている掛け替えのないものの重要な砦となるであろう。あとは、兵庫県がどのような博物館を目指しているのかということだけが問題であった。
 「規模よりも質の高さであり、ローカルな自然に跼蹐するものではなく、世界の自然を視野に収め、国際的に通用するものでなければならない。」清水教育長のお話を伺い、私はその席で、謹んでお受けいたしますと申し上げた。
 もう一つ書き添えておきたいことがある。欧州の博物館に集積された資料と豪華な建物、その半ばは植民地支配の副産物だということである。そういった政治的状況の中で、自然に注目し、その価値を知る多くの人々がいたことには深甚の敬意を惜しまないが、これらの博物館が歴史的背景と無縁のものではないということは心に刻んでおいてよい。
 いま日本に新しく誕生しようとしている博物館についても、その背景を十分に考えておく必要があろう。経済的基盤は言うまでもなくわが国の経済の高度成長にある。しかし、どうしていま博物館なのか。それは、近年とみに深刻な様相を呈しつつある自然と人為との関係に帰しうるといってよい。環境問題こそは二十一世紀最大の課題だと言われている。貝原知事がエコロジーを重視した博物館をと、おっしゃったお言葉の意味を、私はこのように解している。
 準備室に足を運ぶようになって、十三名の研究員の方々、五名の事務・技術職員の方々が進めておられる計画の推進に私も加わることになった。研究者の集団が二年後の開館時にはさらに大きくなるのだが、この人たちの活動が新しい博物館そのものであり、この人たちが自然と人の調和について語ろうとすることを、社会は待っているのだと思う。
 これらの人びととすでに幾度も議論を交わし、私も忌憚ない意見を述べてきた。新しい博物館の価値を問われたとき、一つにはより多くの基準標本をもつことだと私は答えた。もちろん、いまからどう逆立ちしても欧米の博物館に追いつけないことは百も承知している。しかし、博物館である以上、その伝統の踏襲を忘れてはなるまい。旧と新とを兼ね備えた博物館でなければならないであろう。
 その数日のちに、それまでに収集されている標本を見せていただいた。倉庫にはすでに多くの収集家からの寄贈品や購入品が収納されているのであるが、私は故坂口浩平博士の、正基準標本であることを示す赤いラベルをはられたノミの標本のプレパラートの列を見たとき、強い責任感を禁じえなかった。
 責任といえば、その博物館はおそらく、兵庫県以西の自然に対して責任をもつ博物館になるであろう。私がアフリカでさんざん経験したことなのだが、自然には国境も県境もないのである。
 博物館の研究者集団は、それぞれの大学からの出先の集合体であってはなるまい。分野を異にする研究者の集まりではあるが、大学ではもはや決して望むことのできない学際的な研究の場を産むであろうし、それ自体が独自の主体性をもつようになるであろう。そして、自らの独創的な研究に基づく自信をもった研究の成果を、堂々と展示して世に問う、そういう生きた博物館に育っていかなければならないだろう。
 多くの方々からのご指導とご鞭撻を心からお願いし、稿を終わりたい。


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Copyright(C) 1998, Museum of Nature and Human Activities, Hyogo
Revised 1998/03/27