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篠山町に見られる史上最大の大量絶滅事件


 今からおよそ2億4千万年前のペルム紀と三畳紀との境界、すなわち古生代と中生代の境界では生物の歴史上最大の大量絶滅事件がありました。その規模はなんと海の生物の種の95パーセントまでもがその時に絶滅してしまったといわれるほどです。古生代末には三葉虫、フズリナなど多くのグループが滅びてしまいました。絶滅をまぬがれたグループも多くの種が姿を消してしまいました。

 兵庫県内でも篠山町の市街地の北、藤岡奥で、ペルム紀から三畳紀にかけて溜まった、主に層状チャートでつくられた地層を見ることができます。層状チャートとは深海底で放散虫(二酸化ケイ素の殻をもつプランクトン)の遺骸が降り積もって作られたチャートいう硬い岩石と、やわらかい泥岩が交互に積もってできたものです。

 藤岡奥の地層はペルム紀のなかばまでは赤い色をした層状チャートなのですが、ペルム紀の終わり頃には灰色に変わります。そしてペルム紀の最後にはチャートから緑灰色の泥岩に変わり、ついには真っ黒な泥岩になってしまいます。三畳紀になると次第にチャートが溜まるようになり、別な場所では三畳紀のなかば頃には再び赤いチャートが溜まるようになっています。

 このようなチャート層の変化から、ペルム紀のなかば頃には酸素が十分にある環境だったものが、終わり頃になると海底付近では酸素が不足した環境となり、ペルム紀・三畳紀の境界付近では浅い海まで酸素の足りない環境になったと考えられています。そしてその後、逆の順序で次第に回復に向かったと考えられています。ペルム紀・三畳紀の境界でチャートが見られないことは放散虫がほとんどいなくなったことを示しています。放散虫も他の多くの生物同様、浅い海まで拡がった酸素不足の影響で多くの種類が死滅してしまったのでしょうか。放散虫は古生代の初めから現在まで海洋に生息していますが、ペルム紀の放散虫と三畳紀以後の放散虫とは種類が大きく異なり、三畳紀のはじめの頃は放散虫の種類がとても少ない時代です。放散虫にとってもペルム紀・三畳紀境界は最大の危機であったようです。

(地球科学研究部 古谷 裕)


篠山町の赤色層状チャート ペルム紀の放散虫(左の2点)、三畳紀の放散虫(右)。(篠山町産ではありません)

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Copyright(C) 1999, Museum of Nature and Human Activities, Hyogo
Revised 1999/02/02