コウノトリ科の鳥は長くて丈夫な脚、首、くちばしをもつ大型の鳥で、主に水辺で魚などを餌としています。コウノトリは、少し小型でくちばしが赤いヨーロッパコウノトリと同種とされてきましたが、これらを別の種とみる考えが、このごろ有力です。この2種はユーラシア大陸の東西両端にわかれて分布していて、ともに絶滅の恐れがあります。特にコウノトリは、3000羽ほどしかいないと推定されていて、絶滅の危機にたたされています。
現在コウノトリは、大陸から飛来する個体が、全国各地で冬に、まれに見られるにすぎません。しかし江戸時代には、江戸市中のお寺の屋根でコウノトリが巣造りをしていたという記録があります。また、明治の初めには横浜にコウノトリがいたこと、静岡城のマツの樹に巣をかけていたことなどが書物に記されています。したがって明治初期までは、国内のかなり広い地域にコウノトリが生息・繁殖していたものと考えてよいでしょう。
明治の初めの記録以後、コウノトリの記録はなぜか途絶えます。再び記録が現れるのは、日清戦争が始まった1894年で、兵庫県但馬地方の出石の鶴山に一つがいが巣をかけたのです。この後、最大で100羽前後が但馬地方に生息していたと考えられています。しかし第2次世界大戦をはさんで、その数は減少の一途をたどり、1959年に豊 岡市内で1羽のヒナがフ化したのを最後にコウノトリの自然繁殖は途絶えました。さらに、1960年代に入ると農薬の中毒などによる成鳥の変死と卵のふ化失敗が、あいついで観察されました。そのため、1965年からは残された野生コウノトリの捕獲と、「将来自然に戻すこと」を目的とした飼育が開始されました。そして1971年に、最後の野生コウノトリが保護され、コウノトリは日本の空から姿を消しました。
その後、豊岡市のコウノトリ保護増殖センターでは、飼育下で繁殖させる必死の努力が四半世紀にわたって続けられました。しかし、産卵してもフ化しないという状況が長い間つづき、一時は飼育個体の絶滅すら心配されました。しかし1989年になって努力が実を結び、ヒナの誕生・生育がうまくいくようになりました。これ以降、飼育下のコウノトリは増加し、再び「自然に戻す」という目的を実現することが夢ではなくなりつつあります。
飼育下での繁殖の成功と飼育個体の増加にともない、兵庫県は1999年の一部開園をめざしたコウノトリの郷公園(仮称)の計画をすすめています。この公園では、飼育下での種の保存はもとより、再び但馬の空にコウノトリが舞う、野生復帰の研究・実践がおこなわれます。うまくいけば、いまから33年前の「自然に戻す」約束が果たされることになります。
(生態研究部 江崎保男)