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猪垣(ししがき):歴史と民俗
猪垣(ししがき)は現在では、田畑の周囲にトタンや柵などを巡らせ、イノシシの食害から農作物を守るものを指しています。しかし江戸時代までは、狩猟を目的としたものと、現在のようなものの二つのタイプがありました。狩猟用のものは、イノシシの通り道に柵をつくり、落とし穴などの罠や囲いに誘導するものです。春日町には、杉の間伐材で長方形の囲いの檻(ししおり:写真下)の両脇にイノシシを罠へ誘導する猪垣があります。この罠で捕獲されたイノシシを2〜3年のあいだ檻の中で餌を与え、ならしてから、夏期に親子連れのイノシシを一網打尽にします(私信:神戸学院大学・藤田悟氏)。
イノシシは胴長・短足の体型であるため、下生えの多い林や林縁部、湿地帯の生活に適しています。また、雑食性のために食性はヤマノイモ、ワラビなどの地下茎や、地上に落ちているクリ、カシ、シイなどの木の実などと幅広い。イノシシの主食は縄文人の食物と共通したものが多く、人間の生活域に重なるために絶好で重要な狩猟対象の一つになりました。
しかし、人間が稲作を始めるや、貴重なタンパク源であったイノシシは迷惑な存在になってしまいました。これまでイノシシの行動域であった林縁部や湿地帯は水田にされてしまいました。イノシシの生息地だった場所は人間が独占的に利用することになったのです。しかし、イノシシからすれば、彼らの生息域に稲という新しい食物が出現しただけで、餌の対象になったのです。かくして、日本列島で最初の害獣というものが発生したわけです。
万葉集に詠われた「霊(たま)あはば 相ねむものを小山田の 猪田禁(も)るごと母守らすも」は、イノシシの番をするのと同様に母の見張りが厳しくて、思うように夜恋人に会いに行けないことを嘆いている歌です。この歌からうかがい知れるように、イノシシは農民にとって厄介な存在でした。猪垣が工夫されるまでは田の近くに小屋をかけ、夜通し鳴子などを鳴らし、イノシシを追い払っていたのでしょう。現在でも、近畿地方から中国地方にかけての山間部の田畑の周囲にトタン板の塀や、電気柵が延々と築かれた猪垣は、イノシシがいまだに疫病神であることを如実に物語るものなのです。
猪垣でイノシシの田畑への侵入を防ぐという方法は、鉄砲や罠で駆除するよりも、はるかに自然に優しい対処のような印象を受けます。しかし、イノシシの採食場所や行動域を奪うわけで、結果的には個体数を減少させる効果があることに変わりはありません。人間が自ら殺生をしなくていいこと、急激な変化は期待できないことぐらいが大きなちがいといえます。
「生類憐れみの令」を発令した徳川五代将軍・綱吉の治世のころに、猪垣が大規模に用いられた記録が残っています。対馬では、そのころ全島にわたってイノシシとシカがおびただしく生息し、田畑を荒らし回っていたといわれています。ただでさえ耕作地の少ない島に住む農民の困窮は、はなはだしかったといいます。江戸時代の鎖国体制の中で朝鮮との外交を任務としていた対馬藩宗家は、農民からとりたてる年貢以外にも実入りは多かったのです。しかし、米が藩の財政の基盤である以上、農民の困窮を救い、米の増収をはかることは至上命令であったのです。
元禄13年(1700年)に、当時の奉行であった陶山納庵は幕府の禁令に背き、「猪鹿追詰(しししかおいつめ)」を断行しました。これは、全島をいくつかの地域にわけて猪垣で囲み、1年に1地域づつ12月から翌年の2月までの農閑期に、人海戦術でイノシシとシカを撲滅していくせん滅作戦でした。全土で700平方キロの島という隔離された条件下で、開始以来9年にしてイノシシ8万頭が捕殺され、ここに対馬のイノシシは全滅しました。この功によって後世「対馬聖人」とたたえられ、現在でも対馬の歴史にその名を残しています。
江戸時代は自然と調和した人間の生活が営まれていたのは事実ですが、陶山納庵のとった措置を蛮行として例外的と捉えるべきではありません。この時代は、生産手段があまり発達しておらず、人々の欲望もまだささやかなものであったために、結果として調和のとれた関係が営まれていたと捉え直すことができるからです。また、自然保護の思想が存在しなかった時代的背景もありました。むしろ、自然保護や自然との調和のとれた関係などというイデオロギーが世にはばかりだすのは、近代になって人間が物質的に豊かになり、野生の動植物をさんざん絶滅に追い込んでから案出されたものにすぎないのです。陶山納庵の行為を偉業とたたえるか、あるいは野蛮と非難するのかは、時代と見方によって評価は分かれますが、この事例は人間が自分たちの生活のためには、自然に対してどんなに過酷に振る舞えるかを教えてくれます。
(生態研究部 大崎雅一)
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Copyright(C) 1997, Museum of Nature and Human Activities, Hyogo
Revised 1997/06/18