まえに戻る 目次へ つぎへ進む
人と池沼
ため池
中世以降わたしたちの祖先は多くの池や沼を埋め立て、新田を開発することに力を注いできました。その一方で、河川から水をひくことのむずかしい丘陵部や台地には無数と言っていいほどの大小のため池をつくってきました。潅漑を目的としたため池は、全国に25万個近くあるとされていますが、そのうち兵庫県には全国一の5万4千個ほどがあります。
兵庫県南部地震で地層に亀裂が走ったためなのか、淡路島のため池では水涸れ状態が続き、平成8年度には甲子園球場の63倍もの面積の棚田で水不足の被害がでたと報じられています。ため池はこのように直接、米の収量を左右するので、昔から農家の人々によって根気づよくこまめに維持・管理されてきました。
ため池のある風景(1993年5月 三田市)
ため池と生物
ため池は水稲栽培のためにつくられた人工的な水辺ですが、河川氾濫源の一時的な水たまりや湧水湿地に生育していた生き物たちが、こんなに魅力的な場所を見のがすはずはありません。タイコウチ・ミズカマキリ・ゲンゴロウやコフキトンボはすぐに飛んできたでしょうし、近くの河川からはフナやドジョウ・ナマズも出水に乗じて用水路をつたい、田圃やため池までたどりついたに違いありません。
定期的に草刈の手が入ったので、土手はチガヤ・ススキ・ケネザサなどによって守られ、そのすきまにはツリガネニンジン・オミナエシ・ワレモコウが侵入して、わたしたちの目を楽しませてくれました。ため池はその大きさ、深さ、水質、岸辺、水面の植物群落、あるいはまた干上がりの程度・期間によって性格の異なった様々な住み場所を生き物たちに提供してきました。もともとは人工的につくられたとはいえ、ため池の風景は水稲栽培を主とする人々の暮らしと、その場に侵入・定着するいろいろな生物の相互作用が長い年月をかけて形づくってきたものなのです。
ため池の贈り物
こんなに良い場所を生き物たちにだけ無料解放しておくわけにはいきません。海や川の魚が手に入りにくかった地方では、ため池にコイ・フナ・タモロコなどの魚が放され、貴重な蛋白源として利用されました。コイはあらいと鯉こくにして、フナやタモロコは寒中に甘露煮にして食卓に供されました。三田市のあるため池の持ち主は、「子供の頃、腕の太さほどもあるウナギをため池の石垣の間から釣り上げ、うれしかったなー」という話を何とも言えない笑顔とともに話してくれました。グルメ談義のうしろめたさとは無縁のさわやかさが印象に残っています。魚だけではなく、ジュンサイも植えられました。今も三田市で活躍しているジュンサイ採りの一行は、ジュンサイの生える池を回り、状態のよい池からは年に3回、弱った池からは1回、新芽を採集して出荷しています。ジュンサイがどれほどの栄養価をもっているのかは定かではありませんが、人々の食生活に変化と楽しみをもたらしていることは確かでしょう。
ため池を配した農村風景に、美しさとやすらぎを感じるのは、食べものと遊びという暮らしをかたちづくる要素が小地域内で完結して存在し、しかも持続的であることを、わたしたちがその風景から直感的に読みとっているためではないでしょうか。
ジュンサイ採り(1995年6月 三田市)
暮らしと風景
「暮らしが風景をつくる」といわれます。わたしたちの身の回りの風景が、わたしたちの暮らしという機能を一目で感じとれるように形で現しているという意味です。ちょうど生き物の形と機能とが密接に関連しているようにです。
今、ため池は日本の稲作の転換・衰退とともに、急速に変貌しています。岸を管理がしやすく手間のかからないコンクリートブロックで固め、水ぎわを破壊し、生物の棲み場所を無くす方向にどんどん工事が進められています。一年に一度、ため池の水を完全に干していた「かいぼり」も途絶え、水質も悪化の方向をたどっています。ため池、水田、河川という水系の連続性を保っていた素堀(すぼり)の用水路は常時手入れをする必要がないかわりに、生き物が移動しにくいU字管に置き変わってしまいました。また、河川から水をポンプアップして農業用水が確保された田圃では、無用になったため池が埋め立てられています。
ひるがえって、わたしたちの今の都市生活にも、このため池で起こっていることとまさに同じ変化が数え切れないほどに見出せます。家の回りやガレージに雑草が生えると草抜きが大変だとコンクリートで固めていませんか?わたしたちの今住んでいる町並みは、「ニュータウンと超過密状態の都市との往復という便利で手間のかからないライフスタイル」を具象化した風景なのではないでしょうか。
「わたしたちにライフスタイルを選ぶ選択権はない、あるいはその余裕などない」とおそらく多くの人が答えるに違いありません。でもわたしが変えなくて、誰が変えてくれるのでしょう。
(生態研究部 田中哲夫)
まえに戻る 目次へ つぎへ進む
Copyright(C) 1997, Museum of Nature and Human Activities, Hyogo
Revised 1997/03/30