開館によせて

 長年にわたって準備してきた博物館も、ようやく開館しました。今回ご寄稿いただいたのは、神戸新聞論説委員長の三木康弘氏と、貝原知事です。神戸新聞社の三木さんには設立懇話会委員をはじめ、博物館にたくさんのご協力、ご支援をいただいています。

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「人と自然の博物館」の誕生に

神戸新聞論説委員長  三木康弘



 「人と自然の博物館」の開館日に、館内で地質学の泰斗、藤田和夫先生にお会いした。そのとき先生から聞いた一言が、強く印象に残っている。
 「博物館の位置が臨海部でなく、少し内陸部にあるのがいいね」
 兵庫県域は、太平洋・瀬戸内海と日本海側の両方にまたがっている。内陸にあると、そのユニークな両面性が意識できる、とおっしゃるのである。なるほどなあと思った。博物館のフィールドもまた、その両面性を持って豊かなのだ。
 新しい街に、新しい博物館。ここは、自然と文明について楽しく勉強できる知的娯楽場だ。情報発信拠点でもある。
 見学していて、氷ノ山のブナ林を再現したジオラマのところにさしかかったとき、あんまり実景とそっくりなので、懐かしくなった。よく見ると、ツキノワグマが一頭、幹の影からのぞいているからよけいである。
 実は、二十年近く前に、兵庫県の自然について、二年半にわたり、チームをつくって、神戸新聞で連載したことがある(「兵庫探検・自然編」)。地質から動植物、気候まで、いちおう兵庫県の自然全体を「探検」しようという野心に駆られた企画だった。
 自然について科学的知識のほとんどない記者ばかりだったので、野心というより無謀といったほうがよいだろう。まず、当時岐阜大学学長だった今西錦司先生に、あいさつに行った。直接指導を仰ぐわけにはいかないとしても、こと「自然」を相手に取り組む以上、この大先生には、どうしてもあいさつしておかなければならないと思ったのである。
 お陰で、その後、何度か山登りに連れて行ってもらい、あの個性あふれる馨咳に接することができたのは幸せだった。
 先生のそうそうたる「お弟子さん」たち幾人かに受けた指導も大きかった。そのほか、さまざまの各分野の学者先生に何回もフィールドで教えを受けた。身近な自然だのに、それを知ることがどんなに奥深いことか。
 写真の撮影に、いちばん苦労したのが、野生動物である。これほど不如意な相手はなかった。とくにクマがそうだった。
 姿を求めて、氷ノ山山系のブナ林を、どれだけうろつき、待ち構えたことだろう。私たちは、ついに野生のツキノワグマに出会えなかった。テグスでシャッターが下りる仕掛で、なんとか撮影に成功したが、あの手この手の「クマ作戦」には、敗北したというのが実感である。それは、取りも直さず、私たちの自然へのアプローチの限界だった。
 ジオラマを見て、そのことが懐かしくほろ苦くよみがえってきた。氷ノ山にツキノワグマがいるのは確実だった。当時、私たちが最もクマに「接近」したのは、あれは、坂ノ谷国有林、ブナやミズナラやトチの大木が欝蒼と茂る谷だった。何本もの幹に生々しいツメ跡が見つかった。ミズナラのドングリが無数に食い散らされている。冬眠に近い季節だ。ドングリの皮が、どれも縦にきれいに割られている。折られた枝が散乱している。ミズナラの樹上で枝が何本も引き寄せられて、まるで巨大な鳥の巣のようだ。糞が湯気の立ちそうなほど真新しい。どこで食ったのか未消化のカキで赤く、ところどころドングリの皮がキラキラ光っている。
 すべてが、ついさっきまで、そこにいたことを示していた。私たちは、杉の葉っぱで隠れ場をつくり、一人はブナの木によじ登って身を潜めた。じっと待つうちに、宵闇が谷にだんだん濃くたれこめた。そのとき、私たちに迫ってきたものは、恐怖感だった。山森の、欝然と動かない恐ろしさだった。野生の自然とは、元来恐ろしいものなのだ。人間は、その恐ろしさと闘い続け、そのうち傲慢にもその恐ろしさをを忘れてしまった。…私たちは、転げるように暗い谷から逃げだした。
 ことし十月下旬のことである。十数人の仲間と氷ノ山の紅葉を見に行った。まだ、「氷」のてっぺんに登ったことのない連中が、出かけて行き、私たちは中腹で見事な紅葉を楽しんでいた。登った連中が、なんとクマに出会ったのである。大段平から少し、入ったブナ・ミズナラ林で、木に登っている二頭の、やや小型のツキノワグマを見た。登山道から十数メートル、クマの方が驚いてズッコケるように滑り落ち、逃げて行ったという。目撃者たちの好運に、こちらは地団太踏んだものだ。
 ともあれ、兵庫の山にクマは健在である。だが、どんどん減ってもいる。ヒトとクマの共生を図る方法は?クマとかイヌワシといった大型野生動物は、広い範囲で、自然環境の生命維持力を表現している。共生の知恵が欲しい。
 郷土に「人と自然の博物館」という最新型の城ができた。暮らしと地球とのつながり、自然と人間活動との関係につき、くめども尽きぬ情報を、こんこんとうみだしてくれるだろう。心強く、うれしいことである。

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Copyright(C) 1998, Museum of Nature and Human Activities, Hyogo
Revised 1998/03/20