さて、河南堂珍元斎でございます。 GWということで、ドドっーンと連続サービスですよぉヘ(^o^)/
3月12日は橋本佳明研究員とナチュラリストの原風景ツアー「篠山:水木しげるの原郷探訪」。
なぜ、篠山と水木しげるさんかといいますと、なんと、16歳のころ水木しげるさんは篠山に住んでいました。お父さんが生命保険会社の支店長をしていて、この篠山から大阪の精華美術学院に篠山軽便鉄道で通っていました。
ということで、その線路跡を歩いてみました。
水木少年は、寝坊のためあまり学校に行かず、虫の絵ばかりを描いていたそうで、昆虫絵巻や篠山の風景画を描いています。当時と山の形は変わっていませんが、虫はこの日は寒く出てきてくれませんでした。
←水木少年が妖怪オトロシに出会ったと伝わる盃山方面を望む
線路は篠山口(弁天)から東吹、岡野、西町、魚の棚、篠山町駅まで走っていたようで、今でも線路跡は篠山口から渡瀬橋の鉄橋跡までなんとか続いています。
(これが鉄橋跡)
でも町に近づくに連れ消えてしまい、西町駅は今は自動車工場で、なんとか最後の魚の棚から篠山町駅までは篠山城の北外壕の北側歩道が線路跡で残っています。
(西町駅跡)
(篠山町駅跡付近)
途中、フキノトウを採ったり、
大きなエノキに出会ったり(エノキは昔一里塚の目印に植えられていたそうです。)
骨董市に寄ったり・・・なつかしいブリキのお店での買い物や町中に残る篠山焼の登り窯やひな人形の展示見物などタヨウな篠山の自然や文化を感じながらの町歩きとなりました。
みなさんも水木少年を育んだ篠山の自然を感じに篠山軽便鉄道跡、ぜひ歩いてみてください。いろんな発見がありますよ。
ひとはく地域研究員 河南堂珍元斎