今回からスマトラ島を離れて、おとなりのジャワ島に飛びます。パンガンダランの話をしましょう。
(図1:インドネシア、ジャワ島の地図とパンガンダラン自然保護区の公園地域を中心とした地図です。パンガンダランは、ジャワ島本島南岸から海に突き出しています。Sは熱帯林の二次林を、TとMは、それぞれチーク(T)とマホガニー(M)の人工林を表します。もともと国立公園になる前はチークとマホガニーの植林地でした。二次林にかこまれたメッシュ(G)は草地を表します。)
ジャワ島というのは、首都ジャカルタのある、インドネシアでいちばん人口密度の高い島のことです。前回までお話ししていたスマトラ島の東にあたります。そしてパンガンダランというのは、ジャカルタから南東に行ったところにある海に突き出たような町(森?)です。もともとそこは「パンガンダラン島」だったのですが、後に砂州(さす)ができてジャワ島とつながり、今のような形になったのだそうです。スマトラ島から行くとすると、まずパダンからジャカルタまで飛行機で飛び、ジャカルタの近くで一泊して、朝早くパンガンダランに向けて、車で出発することになります。
ジャカルタの近くには、ボゴールという町があります。ここはボゴール農科大学(のうか・だいがく)やボゴール植物園のある大学の町です。ボゴール農科大学には、ジャワ島を訪れるたびにお世話になるバンバン・スリョブロトさんが勤めていらっしゃいます。バンバンさんやほかのボゴール農科大学の皆さんがいらっしゃるので、ボゴールのホテルなら、何となく安心するのです。
ボゴール農科大学の皆さん同様、パンガンダランの人びとにも、インドネシアで調査をはじめた頃からずっと世話になっています。考えてみれば、わたしとパンガンダランとの付き合いは長いのです。インドネシアに行くまで、わたしはアフリカのコンゴ共和国――ブラザビル・コンゴのことです。コンゴ川をはさんだおとなりの大国、コンゴ民主共和国、つまり旧ザイール=キンシャサ・コンゴとは異なります――に、長くかよっていました。ところが、アフリカ中央部の熱帯林地域で大きな戦闘(せんとう)がおこり――いわゆる<アフリカの七カ国戦争>です――、あまりにも危険なために、コンゴ共和国には行けなくなってしまいました。それでインドネシアのパンガンダランにかようようになったのですが、こちらも残念ながら、1998年を最後に行けなくなってしまいました。インドネシアの調査を再開したのは2007年になってから、パンガンダランを再訪したのは、やっと2008年になってからです。
この文章を読んでいらっしゃる皆さんの記憶の片隅(かたすみ)には、残っているかもしれません。パンガンダランは「津波におそわれた町」として有名になりました。2006年6月、大きな津波がジャワ島の南岸一帯にひろく押しよせました。パンガンダランは、観光地としてヨーロッパで人気が高かったのですが、地形が海に突き出していたために波をもろに受けてしまい、ホテルを初め、多くの建物が壊れてしまいました。おまけに小舟で海に出ていた漁師など多くの土地の人びとが亡くなりました。パンガンダランは、ジャワ島南岸一帯でも、かくべつ被害のめだったところなのです。
2008年9月撮影。)
最初にパンガンダランを訪れた時は、インドネシア人を中心に観光客がもどりはじめたところでした。しかし、建物は家屋(かおく)といわずホテルといわず崩壊(ほうかい)したままです。多くの場所は放置されていました。ですからわたしは、調査地の森も津波でひどいありさまになっていると思ったのです。でも、わたしの予想に反して、そんなことはありませんでした。海水をもろにかぶったところは、さすがに立ち枯れもしていたのですが、たいていのところは津波の痕跡(こんせき)もありません。どうしたことでしょうか?
(図3:津波の時、海の水が浸かったために立ち枯れをした森のようすです。もともとはりっぱな熱帯林でした。林冠(りんかん)の葉がなくなったために、日光が林床(りんしょう)にとどくようになり、陽地性(ようち・せい)の草がしげっています。)
被害の集中した建物の多い町なかには、木というものがほとんどありません。木が植わっていれば波を防ぐクッションになったのでしょうが、海に突き出たパンガンダランには、そもそもアグロフォレスト、つまりかく家庭の森、屋敷林がありません。そのために、直接、波をかぶることになったのです。でも、森なら木があります。ですから、森では波の被害が減ったのだと思います。それに何より森の植物は、長い進化史の中で何度も大きな災害にあってきたはずです。自然の災害に耐えていけないのだとしたら、とっくに絶滅しているはずです。そうではありませんか?
2回目に訪れた今年のパンガンダランは、復興も3年目ですから、目に見えて再建がすすんでいました。昨年は、防波堤は工事途中でしたが、今年は完成し、何となく安心感がありました。保護区やその手前のレジャー公園――地図では「公園地域」としています――もよく整備されて、サイチョウという鳥の仲間や、シルバールトンという葉っぱを食べるサルの仲間、ニホンザルに似たカニクイザルやルサジカをよく見かけました。
(図左:赤ん坊を連れたメスのシルバールトンです。あまり地上に降りないサルですが、この時はたまたま下りていました。シルバールトン(=「銀のルトン」)という名前ですが、パンガンダランのものは真っ黒です。それにひきかえ、赤ん坊は黄色くてよく目立ちますね。
図右:赤ん坊を抱いたメスのカニクイザルです。生まれたての赤ん坊は、黒っぽい体毛をしています。)
シルバールトンやルサジカは葉っぱが好物ですから、人の持ってくるスナックには見向きもしません。しかし雑食性のカニクイザルはスナックが大好きです。それで観光客が増えれば野生のカニクイザルが増えるという、一見おかしなことが起こります。カニクイザルは、かんたんに餌(え)づいてしまうのです。そのため、津波の後、観光客が来なくなったためにめっきり数が減っていたパンガンダランのカニクイザルは、今、急激に増えているようです。
葉っぱの好きなシルバールトンはどうなのでしょう?ルトンは、観光客が減ろうと増えようと関係がないようでした。それよりも、ルトンの好きな植物が減っているか増えているかが問題なのでしょう。
パンガンダランの1年目の調査のようすは、日本霊長類学会の機関誌「霊長類研究 Primate Research」 2009年25号
に載せていただきました。こちらは科学論文ですので、少しむつかしいかもしれませんが、その代わり、パンガンダランのことを日本語でくわしく載せていただいています。インターネットから取れると思ったのですが、2009年号はまだ掲載されていませんでした。もうすぐインターネットにも載ると思います。また掲載されたらお知らせします。(つづく)
三谷 雅純(みたに まさずみ)
兵庫県立大学 自然・環境科学研究所/ 兵庫県立人と自然の博物館
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