ひとはくの新展開は成功しつつあると、多少独断的に自己評価します。根拠はいろいろありますが、計画の方針が妥当で、その結果さまざまないい現象が現れていると見るのもその理由の一つです。
ひとはくの事務部には総務課、生涯学習課、情報管理課の3課があり、研究部は複数の部門で構成されており、最近は大学院生も所属しています。他に、委託で派遣されている管理や清掃の関係者もあります。ひとはく関係者は大学籍を含めて常勤職員は50余名(定員不補充などで、定員と定数は一致していません)ですが、大学院生、派遣職員や私のようなパートタイマーを加えると、広い意味の館員は100名近い規模になります。
新展開が始まった時、県の職制とは別に、博物館独自の事業部組織がつくられました。と同時に、事業部員の座る席が設けられましたから、大学籍の教員も、指導主事も、事務職員も、職制で区別されることなく、館員の間の情報交流はスムースに行われ、恊働が円滑に進むようになりました。
さらに、毎月1回、第2金曜の朝30分間、全館員が集まって月例報告会を開きます。新展開では、さまざまな項目に数値目標が設定されています。前の月に、その数字がどう動いたかを取りまとめ、厳密な内部評価を行う会合です。数字を見るだけだったら、全員が集まるまでもないのですが、この種の統計では、数字がしばしば一人歩きして、勝手な解釈につながることがありますので、報告会で問題になりそうな数字を検証し、問題のある項目についてはよりよい成果に結びつけるような方策が模索されます。短時間ですが、ここでも職制を超えて館員の意思疎通が円滑に進みます。
わたしは、ひとはくに関与するまで、所属は一貫して高等教育機関でしたが、京大、東大、立教大、放送大と少しずつ違った4つの大学に勤務しました。しかし、どこでも、研究者側と事務側に考え方の相違があり、その間の意思の疎通が何らかの障壁に遮られているのを感じていました。
東京大学では植物園という多少特異な性格の部署にいました。もとの国立大学では、教育研究を支えているのは教官だと考える雰囲気が強く、技官、事務官は教育研究支援要員と呼ばれたりしていました。だから、大学ではすべてを教官が決めようとし、教官は会議に時間を取られていました。植物園には優れた能力を備えた技官もいました。教官のもっとも大切な役割が研究教育にあることはいうまでもないことで、わたしも植物園在任中には、いいスタッフにも恵まれ、研究や教育にそれなりの成果をあげてきたと自信をもっていますが、さらに優れた技官との恊働にも積極的に取り組みました。技官の貢献をもとに、スエーデンの王立科学院が発行している雑誌AMBIOに共著の論文を出したりもしました。ことほど然様に、大学のような機関でも、教官、事務官、技官が三位一体で活動し、研究教育に貢献するのが本来のすがただと考え、そういう雰囲気づくりに努めました。
日本の大学等機関では、残念ながら、一般的に、研究者と事務職員の間の意思の疎通には埋めがたい断絶があるのが現実です。そういう現実を見続けてきた目でみれば、ひとはくの事業部組織が、館員の意思疎通を円滑にする器となっており、恊働の精神を実体として構築しているのを見るのはたいへん心強いことです。恊働が実行されることによって、ひとはくは実際に実力(人員数でも個々人の能力でも)以上の成果を挙げているといえるのだと見ています。
日本では大きい方だとはいえ、ひとはくの規模は欧米の主要な博物館等施設に比べるとずいぶん小さなものです。ですから、活動には規模に掣肘されるさまざまな制約があります。しかし、それにもかかわらず、最近のひとはくは、生涯学習支援、シンクタンク機能発揮に具体的な成果を描き始めています。まず、博物館内で、前向きの意思統一が進んでいることが原動力になっているためでしょう。
岩槻邦男(人と自然の博物館 館長)