サイトマップ |
文字サイズの変更

ご利用案内

交通アクセス

利用案内(観覧料金)

団体でのご利用

バリアフリー情報

ひとはくの展示

セミナー情報


ひとはく活用術

移動博物館車 ゆめはく

ひとはくセミナー倶楽部

ひとはく新聞ハーモニー

恐竜化石

ひとはくKids

行政や企業の方へ「シンクタンク事業」

学校関係者の方へ「学校教育支援」


 

ユニバーサル・ミュージアムをめざして32

 

生き方を変える病(やまい)-1

 

三谷 雅純(みたに まさずみ)

 

 

 

 

Report_Aahasia.JPG 

 人と自然の博物館は生涯学習施設ですから、元来、さまざまな人たちに、学習の場を提供しなければなりません。ヒトの認識のクセとして、わたしたちは、つい人間をカテゴリーに分けて理解しがちなので、まるで「健常な人」という存在が、普通であるように思ってしまいます。しかし、現実の一人ひとりの人間は、赤ん坊であったり、赤ん坊を連れたお母さんであったり、いろいろな病気や病気の後遺症を抱えていたり、働いていたり、働いていなかったり、学生であったり、お爺さんやお婆さんであったりするのです。そういった具体的な人に学習環境を用意するのが、生涯学習施設としての人と自然の博物館の大切な役割です。

 

 NPO法人全国失語症友の会連合会と作成ワーキンググループがまとめた報告書『「失語症の人の生活のしづらさに関する調査」結果報告書』 (1) を読みました。この報告書を読んで驚いたことがあります。それは、今、失語症になっている人が発症した年代です。調査によると、20歳代から50歳代の働き盛りに発症する人が、全体の6割以上を占めたのだそうです。失語症というのは、脳の血管に異物が詰まる脳梗塞(こうそく)や脳塞栓(そくせん)、脳の血管が破れる脳内出血や事故の後遺症で、さまざまな言語中枢のどれかが働かなくなることです。

 

 脳の血管が悪くなるのは高齢で血管を長年使いすぎたせいで、血管が脆(もろ)くなるのは普段の生活態度が悪かった証拠だ。本人に責任があるのだと、つい当人を責めてしまいます。そうではありませんか? しかし、それなら、発病するのは血管を使いすぎた年齢になってからという事になりそうです。でも、アンケートの結果はもっと若い、働き盛りに発症したというのです。これは高齢であるからというよりも、たとえばストレスの掛かり過ぎでとか、遺伝的な素因があってといった人が多いことを示すのではないでしょうか? いずれにせよ、「ご本人の責任でなった」という事とは違うのではないか? わたしは、そう思ってしまいました。

 

 現在、友の会に参加している方は、圧倒的に高齢者が多い。という事は、少なくともご本人たちは、若い頃に発病なさって、そのまま、就職する機会を得られずに歳を重ねたという方が多いという事です。報告では、失語症者の復職率が低い事が繰り返し述べられていました。

 

 「高齢であるからというよりも、働き盛りに発症した人が多い」かどうかを印象ではなくて、科学的に言うためには、本当は、当事の人口ピラミッドと発症した年齢の構成をよく比べてみなければなりません。時代ごと、世代ごとに、年齢によって構成人口が異なるからです。医学では高齢者の発症がもっとも多いと言っているのですから、確かに使いすぎた血管の不具合という面があるのでしょう。しかし、わたしには、思っていたよりも働き盛りの発症が多いという印象は拭(ぬぐ)えませんでした。

 

 失語症の友の会というのは、同じような症状の人が――同じような症状の人はいますが、全く同じ症状の人はいません。脳の中のいくつかの言語中枢は、それぞれ別の機能を持っていて、どこが、どれくらいダメージを負ったかは、人によって違うからです――集まって、仲間でリハビリに励(はげ)んだり、楽しみを見つけて社会活動をするための集まりです。

 

 失語症の友の会は、1980年代に日本各地に作られたそうです。それなら1980年代までは、失語症者はどうしていたのかと気になりました。病気の治療は病院で受けられますが、失語症は病気ではありません。後遺症です。もう病気の治療は終わったのです。だったら退院するのがスジです。しかし、失語症になってしまった人はどうしていたのでしょう?

 

 家庭に余裕のある人は家に留め置き、家庭に余裕のない人は、ひとりで生きて行かざるを得なかったのではないでしょうか?

 

 思えば惨(むご)いことでした。ヒトは本質的に社会的な生き物ですから、社会的に繋(つな)がることができなければ、人の<こころ>は死んでしまいます。働き盛りの年齢でなる認知症、今で言う若年性認知症になってしまったという人もいたような気がします。どうなんでしょう?

 

 「ヒトは本質的に社会的な生き物」という意味では、友の会が果たしてきた役割は、たいへん貴重なものだったと思います。単に「同病相憐(どうびょう・あい・あわ)れむ」ための団体ではなく、社会的に立派な意義をもった団体だと思うのです。

 

☆   ☆

 

 それにしても、失語症の友の会は「高齢者中心の団体」だという印象が強い。これは事実です。今でも、青年や中年の失語症者はいるでしょうに。昔にくらべて、今では健康に気を使う人が増えたのでしょうか? それとも、社会的なストレスが減ったからでしょうか?

 

 どちらも違うと思います。本当に健康に気を使うためには、安定した収入がなければなりません。若い人は(失語症者に限らず)誰でも、今、職に就くのは難しい。わたしの知った方も、職に就こうと苦労なさっています。その中で、健康に気を付けて、昼食を安い弁当や菓子パンで済ますのではなく、栄養に気を配った手作り弁当を、(自分ひとりのために、あるいは若いご夫婦ふたりのために)作り続けるというのは至難でしょう。

 

 安定した職にはなかなか就けないのですから、アルバイトが多くなります。アルバイトだけで生活するために一定の収入を得ようとすると、無理をして、いくつものアルバイトをこなさざるを得なくなります。アルバイトがいくつも重なると、心が荒れます。荒(すさん)んで来ます。そしてストレスが増えてくると思うのです。

 

 健康に気を使う余裕はなく、ストレスも掛かる生活を送るのですから、若くから血管には負担の掛かることが多くなるでしょう。すると当然、脳血管の病気も多くなりそうです。若い失語症者は、以前よりも増えていて当然だと思います。

 

 若い失語症者の団体に「若竹」の会や「若い失語症者のつどい」があります。20歳代から30歳代が中心だと思います。若いだけにコンピュータが使える人もいて――不思議に思えるかもしれませんが、失語症では平仮名や片仮名、ローマ字が理解できなくて、キーボードが使えなくなった人が多いのです――、相互に、たとえば「あ、い、う、え、お」と発音練習をするためのソフトを作ったとか言って、公開し合っていらっしゃいます。それでも若い失語症者は、このような友の会には参加したがらないのです。

 

 わたしには何となく、若い失語症者が友の会に参加したがらない理由が分かります。若い失語症者では、たとえご本人が成人であっても、まだ親自体が若く、十分に世話のできる場合が――親が失語症の子をです――多いのです。結婚をして子どもがいる場合は責任が重すぎるのでしょう。うつになってしまい、家から出られないという方がいました。ことによったら、伴侶やご家族が引きこもってしまう場合も、あるのではないでしょうか?

 

 次に続きます。

 

---------------------------------------------

(1) 『「失語症の人の生活のしづらさに関する調査」結果報告書』(NPO法人全国失語症友の会連合会と作成ワーキンググループ,2012

http://www.japc.info/2013-3-25.pdf

 

 全国失語症友の会連合会のホームページには、わたしの『ヒトは人の始まり』を紹介していただきました。

http://www.japc.info/japc_6.htm#ヒトは人のはじまり

Copyright © 1992-2023, Museum of Nature and Human Activities, Hyogo, All Right Reserved.