ユニバーサル・ミュージアムをめざして16
女性の働き方と『モモ』に出てきた時間泥棒
三谷 雅純(みたに まさずみ)
この間、テレビで夜のニュース (1) を見ていると、IMF(the International Monetary Fund:国際通貨基金)の専務理事、クリスティーヌ・ラガルド(Christine Lagarde)さんと経済団体代表幹事の長谷川閑史(はせがわ やすちか)さんが出演して、あるIMFのレポート (2) の話をしていました。そのレポートには、「日本の女性は、せっかく働き始めても、結婚や出産といった人生には当然あるできごと、つまり大きなライフステージの変化で引っかかり、それ以降も正規職員として働ける女性は少ない。その事が、日本社会から、高い教育を受けた人に実力に見合った職につくチャンスを失わせている」という分析が載っているそうです。ラガルドさんのおっしゃることはもっともだと、わたしは肯(うなず)きました。
その一方で、ライフステージに大きな変化のない人の方が圧倒的に多い男性は、職に付き続け、キャリアを重ねていきます。しかし、その中で、(日本では)長い時間働き続けることが当たり前とされ、家庭よりも職場を大切にすることが(今でも、暗黙の内に)尊ばれる世間の雰囲気(風土?)があるということです。
これは女性にとっても、また男性にとっても、いびつだと思います。先程述べたように、女性はおのおのが夢見た人生設計が(半ば、強制的に)描けなくなり、男性は働き過ぎや職場の人原関係のストレスで消耗してしまうからです。
日本では働く女性の数が、20代後半から少なくなるそうです。これは、この歳に出産を迎える女性が多いからですが、このような現象は、世界的にも、先進国ではあまり例がないそうです。どこの国、どこの地域でも、子どもが生まれるのはめでたいことですから、よその国や地域ではきっと、いろいろな意味で子どもを育てることに助けがあるのでしょう。「女性は家庭にいるもの」という考え方は、よいか悪いかは別にしても、あちこちにあります。ですから、ここで言う保育への手助けとは、「保育園の数」のような施設の問題だけではなく、赤ん坊や子どもを大切にすることが社会全体に根付いているということなのかもしれません。
それにしても、高い教育を受け、まじめな日本の女性が働けない。たとえ働けても、正規雇用ではなくて、非正規雇用や短期のアルバイトという現状はひどいと思います。女性が社会に出られるようになるだけで、ものの生産力は上がり、女性がお金を持つために消費も伸びるというのにです。
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番組では、ひとつの解決策として、オランダ・モデルを紹介していました。オランダも、かつては日本と同じで、女性は家庭にいて、おもに男性がお金を稼いで来たということです。それが、今では80パーセントもの女性が働きに出ていると言います。どうしてそのようなことが可能になったのかというと、それはパートタイムで働くことに、社会全体が価値を認めるようになったからだそうです。
たとえばオランダには、パートタイムで働く女性管理職が多いそうです。女性管理職の40パーセントがパートタイムで働いているのです。日本では、管理職は何となく男性のイメージです。そして管理職は、正規職員であることが当然だという雰囲気です。女性の上司に「仕える」ことは嫌だという日本人も、まだ多くいます。
オランダの女性にパートタイムで働く人が多いというのは、家庭と職場のモラルを両方ともに大切にしているからです。考えてみると、20歳から30歳で子を産めば、その子が10代の反抗期を向かえる時、自分は40代になっています。人(あるいはヒト)の10代は、他人にも<こころ>があるという認識を深め、社会性を身に付ける、成長のクライマックスとも言える時期です。<社会>とか<美しさ>といった抽象的なことについても、考えられるようになります。そんな、我が子にエネルギーを注がなければいけない時が、ちょうど職場でも、経験を積み、人に頼られる時と重なるのです。そのような女性がパートタイムで正規に働けるような場所があれば、人生の大切なものをあきらめないでいられるでしょう。
もちろん、パートナーの存在も大事です。オランダでは、男性もパートタイムの正規職員という例が多いそうです。職場に出ない時間は、女性同様に家庭を大切にするそうです。そして正規職員ですから、給料は働きに見合った分を普通にもらえます。こういうご夫婦を、「ダブル・インカム・ウイズ・キッズ(収入はふたりともあり、子どももいる)」と呼ぶそうです。こうした制度のおかげで、ひとりひとりの収入は少なくなりますが、合計すれば、ひとりで働く時の1.5倍になるそうです。
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こんな働き方を、わたしはまさに、<ユニバーサル>だと思いました。ユニバーサル・ミュージアムとか、ユニバーサル社会というと、どこかで福祉を想像してしまいます。一方で福祉を受ける人がいて、もう一方で福祉を授ける人がいる。福祉を受ける人は、社会的弱者として社会の余剰物を受け取る。社会的弱者は「弱者」なのだから、受けるのは当然である。でもこの理屈には、働く人は、皆、同じように働き続けるものだという、暗黙の前提があるように感じます。今、社会には「働き手(という名の、若い、あるいは壮年の健常な男性)」が減って、高齢者や障がい者はどんどん増え、社会的に支えきれなくなっている。それは、(死に物狂いで?)働き続ける人だけを「働き手」と呼んだことの矛盾が、目に見えて来たということだと思います。
<ユニバーサルなこと>は、福祉と似ています。でも本質的には違います。「パートタイムで働く女性管理職」という話題に従えば、「社会が必要とする<女性の本質>が生かせるような働き方、生き方」のことだと思うのです。その働き方、生き方が日本にないのなら、どこかあるところの真似をすればいい。どこにもないのなら、新しく創ればいいのです。<女性>ということばは、<子ども>や<高齢者>、<障がい者>と言い換えることができます。<男性>と言い換えることだってできるはずです。<女性>だけの得意技は、<子ども>や<高齢者>、<障がい者>にも、それぞれにあるでしょう。<男性>だけにある得意技もあるはずです。それを生かしていくのがユニバーサル社会です。ユニバーサル・ミュージアムというのは、そのユニバーサル社会が実現できるかどうかを試してみる社会実験のようなものです。
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女性は、狩猟採集の生活でも、農耕の生活でも、生活の基盤を築いてきました。狩猟採集なら、男性の「必ず今日あるとあてにできない」、一発ねらいの狩猟の獲物を待つよりも、木の実や貝の採集が人びとの日びの食物をもたらしたのです。確かに焼き畑を作る時には、男性の体力がなければ森は開けませんでしたが、木を伐ったあとで、そこに畑を作ったのは女性でした。その労働は生死を分けるとても大事なものですが、市場経済の下では、お金が介在しないために家内労働と呼ばれ、商品としてあまり評価されませんでした(少しは評価されます)。
ミヒャエル・エンデという人が書いた『モモ』というお話があります (3)。有名なお話なので、読んだ方も多いでしょう。モモというのは、主人公のみすぼらしい少女の名前です。
モモはどこからかやって来て、ある町に住み着きます。町の人たちは優しくしてくれて、汚い服を着ているモモを嫌がりません。その上、皆、正直者で、ゆったりとした暮らしを楽しんでいました。モモもひとりになって、夜空を眺めるのが好きでした。こうすれば、夜空が奏でる<荘厳なしずけさ>に耳を澄ますことができるのです。
ところが、その町に時間泥棒が現れます。時間泥棒は人びとにささやき、「むだな時間を節約して、『時間貯蓄銀行』に預けなさい」と勧めます。でも、それはただの詐欺でした。銀行などなく、「預けた」はずの「むだな時間」は、時間泥棒たちが自分で使ってしまうのです。しかし、あんまりささやきが見事だったので、人びとはその事に気がつきませんでした。人びとは、「じぶんたちの生活が日ごとにまずしくなり、日ごとに画一的になり、日ごとに冷たくなっていることを、だれひとり認めようとはしませんでした」。
お話の最後は、ついにモモが時間泥棒から人びとの時間を取り返します。モモが時間を取り返せたのは、そのみすぼらしい少女に、物事の本質を見ぬく力があったからです。
先ほどのIMFのテレビ番組でも、ある韓国の社長は、女性は人間関係を築くことや、コミュニケーション能力に優れていて、(女性を登用すれば)その能力を生かしてプロジェクトを円滑に進め、会社に大きく貢献していると言っているそうです。「人間関係を築くこと」や、「コミュニケーション能力に優れてい」ることは、モモが「夜空を眺めるのが好き」なことと通じるような気がします。どちらも、時間泥棒に取り込まれた人からは見つからない本質だからです。
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(1) NHK クローズアップ現代 「女性が日本を救う?」、2012年10月17日(水)放送[http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail02_3261_all.html]
(2)
(3) 『モモ』、ミヒャエル・エンデ作、大島かおり訳、岩波書店、1976、360p.[http://www.iwanami.co.jp/cgi-bin/isearch?isbn=ISBN4-00-114127-2] なお、わたしは、昔、『モモ』を読んだのですが、ここでは辰濃和男(たつの・かずお)さんの『ぼんやりの時間』(岩波新書、1238)[http://www.iwanami.co.jp/hensyu/sin/sin_kkn/kkn1003/sin_k524.html]から「二 ぼんやりと過ごすために――その時間と空間」の「1『むだな時間』はむだか」を参考にさせていただきました。
三谷 雅純(みたに まさずみ)
兵庫県立大学 自然・環境科学研究所
/人と自然の博物館